心のメモ帳にようこそ。
このブログが皆様のお役に立てますように。
昨年末に取り上げた「いい加減をする」について、
いろいろ反響がありました。
昭和生まれの中高年層は、
教わった記憶がないという感想が多数寄せられました。
わたし自身も大人になって知りましたw
時代の風潮じゃないかなとも思います。
その真意を教えてくれる大人に、
周りを見渡してもなかなか出会えなかったというのが事実ではないでしょうか。
だから今知ってください。
ものすごく奥が深い内容です。
何かを達成するとか、
夢を持って何かになるという内容以前の重要な課題が含まれてます。
それは『生きる喜び』『人で生きるということ』。
感性や運動を通して、
人という生き物とはどんな素晴らしいことなのかを、
感覚で掴むという課題です。
何を感じているか、
何に感じているのか、
それは自分のなかでどんな感情に結びつき、
どんな感覚なのか。
そして「これが自分なんだ」という実感へと結びつきます。
遊びや喜び、楽しさを通して、
我が身で生きている喜びを体験しておくという大事な課題です。
あなたはやってきましたか?
人で生まれるが故に憂いたり、怒ったりする自分に対して、
扱い方を知る必要があるという紐づけになります。
それはけして欠点でも不完全でも、ましてや欠陥でもありません。
自分が自分を大切に扱って「自律性」、
自ら取り組んで「自発性」「自主管理」の手ごたえを学ぶという仕組みです。
尊さという意味が子どもではよくわからないけれど、
大切にしていく感覚はなんとなくですが触れていけます。
子どものうちにこの学習が少しでも土台に備わっていると、
興味を持って押すとき引くとき、
前進するとき後退するときなどの体験学習が面白くなります。
これが加減の意味です。
大切にするという感覚は再三「自己愛」「自尊心」という名で説明してきましたね。
これはホントに無条件なのですよ。
何が備わっていても肯定するというスタンスから外れません。
心に在ればホントに豊かです。
「自己愛」は売ってませんからお金では買えません。
無いために、
なんでもお金で買えるもので埋め合わせようと外を奔走するとも言い換えられます。
いい加減をするを知らないから心にストレスがかかり、
間違いを犯すといっても過言ではありません。
豊かさのために現状を見直して、
時には勇気ある撤退も考えてみてください。
それはけして敗者ではなく、命の喜ぶ生き方を選べたという誇りです。
要望が多かったので、
「いい加減をする」についてブログでご紹介していこうと思います。
では明日。
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