心のメモ帳にようこそ。
このブログが皆様のお役に立てますように。
プロローグ。
愛とは何でしょうか?
その問いに明確に応えられる人は、恐らく居ないだろうと思います。
明確になっているものではないので、
愛について悩むことは、人生で避けられないだろうと思います。
でも、『愛』を欲しがるのです。
一方、
欲とは何でしょうか?
その問いについては、
ほとんどの人が実体験しているので見当つくだろうと思います。
「あれが欲しい」「これが欲しい」「こうなって」と、
度合こそ差はあれど、
欲があるから行動もできます。
欲があるから生きることも叶います。
欲は、生きるための原動力なのです。
欲しがらなくても『欲』はあるのです。
生きるために『愛』と『欲』を必要としてますが、
人が日常的に使っているのは圧倒的に『欲する』です。
1:9かもしれないし、0:10かもしれません。
『愛する』に比率を多く持ってくるのは非常に難しいことです。
そして、
『愛する』はなくとも、
『愛される』は欲しいのです。
ふたつの比率が0:10もあり得ます。
この事象は、
能動的に行うときに分別しやすいです。
愛する = 対象物を大切にする
相手を大切にする、愛する、愛していると言っておきながら、
『欲する』を優先させます。
対象物に対して、
・○○にはきっとこれがいいわね
・○○になってね
・○○でないと嫌よ
と、いろいろなメッセージを上乗せして行為に及びます。
メッセージをないがしろにされると発憤します。
「愛されたい」に切り替わり、
大切にしてるのは自分のほうだけ。
利己的になってます。
そんな利己主義に陥っていても気に留めず、
ほかのことはとても気になります。
ほかとは、
自分が相手の対象物になっているときです。
受動的になっているときのことですね。
・○○になってね
・○○でないと嫌よ
などと求められると途端に不愉快になります。
内面での拒否感は計り知れません。
他人には『愛する』に気を留めず『欲する』で向き合い、
自分に対しては欲されたくない『愛されたい』で向き合う。
また、
『愛される』ときは、特に速効で心に響くものを好みます。
あの老害も、愛後遺症の症状に等しい。
なんとも複雑な心理のように見えますが、
いえいえ落ち着いてよーーーく洞察を加えると、
錯覚・誤解に身を任せているだけなのです。
頭ではない、
心が『愛される』にいつまでも、どこまでも囚われる。
それが『愛後遺症』の核です。
☆湘南茅ケ崎Salon Hanamizukiホームページ☆