☆湘南茅ケ崎Salon Hanamizukiホームページ☆
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はい、まず頭での把握です。
「なんでもコツコツ」が大事。
もうこれね、
数えきれないくらいのクライアントさんたちから聞かれた言葉です。
アダルトチルドレン、共依存病理で苦しんだ人たちは、
ゆっくりコツコツを許されなかった人たちが多いから。
すごく不運だったと思います。
できてないと怒られる。ってひとが多かったです。
知ってくださいね、コレが間違いだってこと。
今日から常識を変えましょう。
コツコツやっていくと、
ちょっとずつ身についていくってことに手ごたえがあると、
そちらがずっとずっと大事だと思えるようになります。
卒業生はそのことをよくわかってますね。
また、
ちょっとずつ成長している手ごたえを放して、
誰かと共有感覚が味わえると、
涙しちゃうぐらい感動的な体験です。
本当は、
子どものころにこの喜びの体験をしてほしかったと心から思います。
一度その状況が生まれると、
人は自分を信じられるようになっていきます。
自己肯定感が上がります。
人は一人では生きられない。
誰かに助けてもらいながらやっとこさっとこ成長するのが当たり前。
よきサポーターに恵まれるからこそ、
わたしたちは、
幼児性万能感の妨害を乗り越えていけるのでは?と思っています。
本当の意味で、
自分の状況や実力が明瞭に把握できるほうがずっと安心ですよね。
’偽りの自己’が必要なくなる道はつくれます。
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なかにはまれに、
子どもの個性も様々ですから、
本人が親に反してみずから積極的に『自分のためになる』と学習する子もいますよ。
良くない条件が揃うと未学習の傾向が表れやすいと思ってくださいね。
『学習の喜び』を体得してしまうと、
わからないことやできないことに大して囚われません。
不完全な状態に不安や不満を強く感じません。
不安よりも、
体験とともにちょっとずつ自分が変わっていく喜びや、
達成する喜びのほうが重要になっています。
自信がつきやすいので肯定的になり、
アイデンティティー形成が進みやすく、
自分らしく生きることにたくさんの喜びを味わえるようになります。
いいことづくめ。
つまり、必要以上に我を張る必要がどこにもありません。
しかしその逆となると、
プロセス自体がないので、
’偽りの自己’が自分を守る唯一の存在になります。
つまり虚像に囚われやすく、我が強まる一方になります。
意外でしたか?
いつになんどきも、
「すぐできる」「すぐわかる』「すぐなっている」に拘るようになります。
定着は人格になりますから。
それ以外の意識作用が働かなくなるので、
ご本人もこの意識作用に振り回されて、
常に’できる人’や’いい人’を装わなければならなくなります。
では、どうすればよいのでしょうか?
『学習の喜び』の体得のために学習し直すことです。
明日に続く。
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はい、ではサロンでの実例をご紹介します。
ちょっと長いので(一気に説明)お時間あるときにどうぞ。
あなたはヨガをやったことがありますか?
サロンで指導しているヨガ行法は、
体のことだけでなく、
日常の暮らしのなかでふいにやってしまう人間の意識作用を忘れずに取り上げ、
それを題材に取り組み、
改善し、成長する喜びを実際に味わっていただく内容になってます。
平たく言うと「人間そのものを知る」ためにヨガ行法を活用してもらってます。
私自身が以前ヨガビジネスに携わった時に、
体に偏っていることに疑問を持っていて、
サロンを持ったら一番やりたかったこととして必ずやろうと決めていた内容です。
人が見落としてしまうところを放置しない。
それがサロンのヨガ行法です。
肉体にしろ、心にしろ、
そもそもの問題は意識の使い方に始まってます。
とくに念頭に置いてやっていただこうと思っているのが下記です。
・誤認識
・錯覚
・想像物の区別(理想、空想、夢想、幻想、妄想など)
・記憶への囚われ
4つの意識作用がチェック項目です。
これらは全部、本人を迷い道に誘いこむ作用です。
意識によってどんどん道から外れていきます。
それを自分みずから気づき、自力で直していけるように指導します。
いわゆる本気の自律神経訓練法ですw
その結果、
誤解による苦痛から解放され、
人生が整い、
自らの心や肉体に安住・安楽できるようにする目的です。
人間ってね、自分を見ているようで見てないの。
けっこういい加減です。
その過ちに気づくのはとても辛いこと。
真実は時に刃物のようで、人を傷つけてしまうちからがあります。
だから回数を重ねて、
お互いのなかに信頼関係が生まれるのを待ち、
受け取れる環境をつくってから事に当たるようにしてます。
その点は、
サロンにお越しいただくクライアントさん方は、
その心得を持っている人が多いので助かってますけど。
ヨガをやったことがある方はご存じですが、
指導者がまず手本を見せてご本人に実際に体を動かしていただきますよね。
ご本人は見本通り(もしくは近い形で)動かしていると思っていますでしょ。
ところがそこには大きな齟齬やギャップが生まれています。
大人数でやっているとここを逃してしまうのね。
大抵は本人任せにしてしまうでしょ。
自己満足で帰っていただくような感じ。
それで何年も月日が経っていくという感じではないでしょうか?
その問題がどういった問題に通ずるかは、
この時点では本人も気づいていません。
きっと改善・向上するとしか思ってないはずです。
しかし実際は、
考えもつかなかった恐ろしい結果を見せてくれます。
こうした事情を踏まえて、
当サロンのクライアントには、
なるったけ早急にその状態を動画や鏡に映して一緒にチェックしてもらいます。
鏡に映った自分の動きは、
自分の想像とは全く違った『自分』が映ってます。
それはそれはご本人もびっくりです。
目から鱗が落ちる。
幻想が崩れ落ちる。
でもここで、
もしもこの問題を放置したらどうなっていくのでしょうか?
頭のなかでの把握だけで、
実際は自分が何をしているのか理解せずこのまま暮らしていったら、
この先どうなってしまうと思いますか?と質問し、
事実を受け取って活用する道を選んでいただいてます。
いつだってご本人の主体性がなければ何も進みませんから。
(そもそもヨガ行法は、何度でもやり直し結び直し結合するの意味がありますからね)
健康になるには、
頭だけでなく(むしろそれは優先しない)、
心と肉体全体を使って染み渡らせて体得していく以外にないのですね。
ということで、
いったいどこに問題があったのか?
どこに注意を払ったらよいか参考にしてみてくださいね。
①人間は、自分の知覚器官を通して頭のなかで情報をスクリーン化しています。
眼球から入ってきた情報を脳に送り視覚野で構成しています。
何かを見た後に、目を閉じていただくと『心象』として残っているはずです。
すでにここで実物と違うような構成になっていることがあります。
そのため自分がすべての責任者だと認知し直さないといけません。
②心象をもとでにご自身の運動神経を使って手足や体に指令を出しています。
それによって本人の動きが決まります。自分の実力以外の動作はできません。
③実行した自分を事実として捉えているのではなく、想像の自分を優先しやすくないか。
とくに自分に対してコンプレックスを持ってきた人ほどその過ちに気づきにくいです。
自分の錯覚に気づいて『学習する楽しさ』へと向かう必要があります。
④見本通りに行えていると断定していないか。ここに注意。
現実にはないものをある、事実だとしているのは妄想です。
ふだんから「すぐできた・すぐわかった」に拘る癖や妄想癖に気づかないといけません。
⑤そのまま放置を続けたらそれがアイデンティティーとして認知されます。
誤認識の発生に気づかないといけません。
⑥人は体験を記憶をするものです。できたと思ったほうを記憶します。
その結果、修正することも練習する機会も失います。
⑦放置の結果、自分の誤った動かし方やゆがみが正されずにそのまま生活で起用され、
遂には苦痛となってご本人を襲っていきます。
痛みや不調は自分が選び取った結果でしかありません。
で、これら一連をヨガ行法では因果応報といいます。
悪因悪果・善因善果・自業自得の学びとして捉え、
暮らし全体に広げて役立てていきます。
こんな風に、
意識の使い方そのものを学びの材料にするほうが肉体訓練よりも大事という方針です。
だから暮らしのなかで試し試しやっているだけで、
あちこちが健康になるんですねw
形に拘るより、
出来栄えに拘るより、
苦しみから解かれる『学習の喜び』を身に着けてしまえば一生もの。
今日のブログを読んでなんか響くものがあったら、
すぐできる・すぐわかる・すぐなっているに拘らないでいただきたい。
で、ですね。
で、ですよ(しつこくいっちゃう)、
この問題でかなりの人が困っているのがわかりました。
どうしてそうなっちゃうんだろう・・・と、
疑問に思っている人が一人二人ではありません。
なので、
明日からこの問題をご紹介しますね。
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ちょっと想像してみてください。
誰かから難しい暗算を依頼されました。
残念なことに自分ではわかりません。
そんなとき横から「○○だよ」と答えが来ました。
その場にいた人は、
『そうなんだ』で気前よく理解し一件落着しました。
困った状態が「ある答え」によって解放されると、
ひとはまるで自分が答えを出したかのような錯覚をします。
そう、、、、(自分は)できた人と同じと捉えてしまいます。
困ったもんですね。
でも・・・そのほうが心がラクになるからなの。
それ同様に、
答えが出せずに迷っている事情の中、
誰かが「○○すればいいよ」とある答えを与えてくれると、
まるで自分の実力で解決したかのような錯覚を持ちます。
で、こっちが実物というかアイデンティティーに組み込まれます。
わからなかったときに発生していた嫌な気分が清算されるので、
こちらの処理方法のほうが断然「よいこと」のように感じます。
つまりここでわかった人・できた人になっちゃうのね。
頭だけ。。。
自分の実力ではないものまでをも、
自分の実力だと錯覚しやすいことをあなたは知ってますか?
明日は、もっとリアルな実例をご紹介します。
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誤解を解きましょう。
頭でわかるとは『把握する』というだけ。
一瞬の想像のなかでのお話にすぎません。
つまり、一瞬の気づきなだけ。
数秒後には消えてる人だっていますよ。
それぐらい曖昧なものでしかありません。
気づき続けていなければ、
現場検証すらできません!
現場検証 = 実施、実行
これがないと体を使ったことではないので、
自分の実力は全くわからない状態です。
事実無根。
やってないものは記憶にすら残りません!
空想でしかありません。
言葉を聞いたり見たり(ブログ含むよ)しただけの段階は、
所詮説明段階に過ぎません。
説明は、あくまでも感覚をつかむため。
感覚による方向性を検討つけるにすぎません。
ここで『わかった』と思ってしまうのは時期尚早。。
実力はなにもありません。
それでのちに失敗し不幸になります。
まず、これは間違いな流れだと学習してください。
あしたは比喩を使って、状況を検討つけてみましょう。
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