心のメモ帳にようこそ。
このブログが皆様のお役に立てますように。
愛着がある人のほうが、
感情表現が豊かです。
感情を生々しく体験し、
それを程よく活用して他者と交流します。
どんなときも怒っていけないと片付けたりもしません。
怒るべきところでは怒ります。
また、
喜びを大いに表現するときは率先して行います。
ズバリ言ってしまうと喜怒哀楽を示すことを肯定してます。
そのほうが相手も察しやすく、
関わりやすいだろうととても表現上手です。
☆湘南茅ケ崎Salon Hanamizukiホームページ☆
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愛着がある人のほうが、
感情表現が豊かです。
感情を生々しく体験し、
それを程よく活用して他者と交流します。
どんなときも怒っていけないと片付けたりもしません。
怒るべきところでは怒ります。
また、
喜びを大いに表現するときは率先して行います。
ズバリ言ってしまうと喜怒哀楽を示すことを肯定してます。
そのほうが相手も察しやすく、
関わりやすいだろうととても表現上手です。
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なぜ慌てるのでしょうか?
なぜ不安になるのでしょうか?
それは、
心が孤立無援だと捉えて暴れているからです。
怖くて仕方が無いから落ち着いてなどいられない。
切羽詰まった状態、死活問題であると言葉なく訴えています。
だからとにかく誰かに助けを求めて何とかしてもらわなければと、
代理者を必要としています。
↓
愛は宥め。
一人ではないと心に訴えています。
何度も何度も繰り返していくと、
心はその言葉を受け容れて静まっていきます。
愛着がある人のほうが忍耐強いというのはホントです。
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以前のブログで「愛着」について取り上げています。
愛後遺症という問題は、
「愛」が着かなかったことによって、
安心して日々を過ごすことが難しい人生になっていたのですね。
いまだ「愛」が着いていないことによって、
人生がトラブルに見舞われやすく、
他者や外部との交流がスムーズにいかないという人たちと、
日々仕事を通してお会いしています。
この愛後遺症は、
60代、70代、80代になっても続いています。
あなたは今おいくつですか?
この「愛」について、
深く理解しようとする機会がなかなかなかった時代の人たちなんですね。
昭和時代って独特な時代だったのだなと実感しています。
('24時間戦えますか'がキャッチフレーズの時代ですものね)
物理的成功を最優先にしたために、
心がちょっと暴走気味になっているのが当たり前だったのだろうと思います。
コンプライアンスのない時代を振り返り、
古き良き時代と捉えている人も少なくないのも事実です。
愛着が形成されずらい環境を肯定していた事実を、
サロンに来られるクライアントには伝えるようにしています。
この時代の常識はもう終わり。
すでに新しい風潮が始まっています。
人生の後半を生きるクライアントたちが、
今世を去る前に、
「愛」という宝物を理解する人たちが見せてくれる笑顔があります。
「人生って、本当は楽しいものよね」と、
口からこぼれる瞬間があります。
愛着は視野を広げて、
まだみぬ未来を希望を持って視れるようにしてくれてます。
長い間の訓練によって下記が起こり続けています。
・自分なりで構わないので物事をやり遂げられるようになる
・自分の楽しみを(他者の同意がなくとも)認められるようになる
・日々の暮らしを楽しめるようになっている
・適当なリスクを承知でチャレンジできるようになっている
・残された時間の短さを念頭に置いて日々を過ごせるようになっている
・自分の人生に起こったすべての体験を肯定している
一度目の人生は悲劇、でも二度目の人生は喜劇。
生きながらにして再誕生という言葉を、
サロンの来店者とともに認識しています。
人生に渡り愛着再形成は、
否定的側面を宥め、
日々起こることを肯定的に捉えられるようにしてくれる宝物です。
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愛後遺症という辛い体験を通し、
人がどれほどに脆いかを知りました。
それは、
けして悪いことでも無駄なことでもありません。
すべての物事には意味があります。
「人であることを理解してない」ということは、
燈台下暗しに陥っていることに自覚が無いと換言できます。
そういう自分に気づき、
あらためて「人を理解しよう」という機会に恵まれたのですね。
私もその一人です。
10代で今とはまったく違う質のヨガに出会い、
そこから長い年月を通し、
自分自身の体験も含めて「人のこころとからだ」というものを、
知る機会に恵まれてきました。
その道の苦労に後悔は一つもありません。
むしろありがたいと思っています。
学校教育法や資料から人を知るのではなく、
生身の人間との関りから「人を知ること」によって、
人を資料に当てはめるような考え方はありません。
一人一様。
この言葉に嘘はありません。
あなたはあなたの人生から学習すべきです。
それこそが本当の意味で「自分の人生を味わっている」と、
言えるのではないでしょうか。
あなたを信頼し、あなたの声を言葉にして出していきましょう。
人と関わりながら、これからも自分を知ってください。
この先の人生は愛と一緒に冒険です。
旅するように進んでください。
ゆっくりと毎日の作業を行い、
ひとつひとつ味わって、
素敵な愛のある人生にしてください!(^^)!
応援しています。
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①から⑨までが自然体になっていくと、
他人や外部を非難する行為が格段少なっています。
つまり、
自分を孤独に追いやることをしなくなっているわけです。
外を非難するとき、あなたは被害者立場で物事を訴えています。
孤立無援だと感じているから(無意識的)、
他者を問い詰め、
自分にお従わせて同一感(連帯感)を体験しようとしてたのね。
これが依存症の正体です。
正しい行為だと思っていた自分の行為で、
じつはさらなる孤立へと追いやっていたわけです。
とても損な立ち回り方だと思いませんか?
昨日迎合のお話しをしましたが、
これももともとは孤立無援の心もとない事情を、
いち早く片付けて同一感や連帯感を味わいたくて進んで行った行為です。
その悪癖を相手取り、
外部に着目していた意識を訓練で自分のほうへと向けるようにし、
その体験が徐々に重なっていくうえで、
自分が自分の味方 = 孤独ではない、誰かが傍にある感覚
を、生み出していたわけです。
これが愛着形成です。
アダルトチルドレンや共依存・依存者にはなかった心理作用が、
再形成されたのですね。
ゆえに、落ち着いて行動ができるように変わりました。
自分で自分のお世話できるようになることは、
いいことづくめです!(^^)!
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他人に対してすぐ迎合する行為がなくなっていきます。
迎合とは、相手の期待を先に感知し、
率先して相手の意に従いますという態度。
・・・・あなたの為にわたしがある。何なりとお申し付けください・・・
・・・あなたの好みの人物になります。何がよろしいですか・・・・・
・・・そういう行為をしますので、どうぞ私を大切に扱ってください・・・
安全確保のための対人操作です。
印象操作ですね。
そういうバウンダリー(心理的境界線)をもって人の前に立てるよう実力がつくと、
相手は相手、自分は自分。
隷従はそもそもおかしいと思い、
自分のままであろうと調教が叶います。
本当の自分であることをその場で許せる行為は、
下記のようなことが起こります。
・他人の目を気にしない
・他人に認められようと躍起になって自分を見失わない
・相手の態度で自分の立場を計らない
・自分を犠牲にして他人の世話やおせっかいをしない
・自分のペースを守りながら努力をしている
・自己を適当に主張できるようになっている
不安を制し、落ち着いて行動出来ている証ですね。
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愛後遺症のクライアントを前にして、
よく観察していると、
ときおり誤解が生じるところがあります。
それは、
物事を早急に解決しようとする習慣が成長を妨害しています。
出来る自分や完成している自分に異常なまでに執着しているので、
(太線の部分は、今後のブログでご紹介していきます「理想の自分像の問題」)
ちょっとできないことや、
上手くいかないことがあると中途過程と捉えることができません。
どういうことかというと、
ちょっとでも想像と違うことが目の前に現れると、
安全感の欠如として無意識的に捉え、
自分で不安をあおりやすくなっています。
躓く自分に直面すると、
物事を「気楽に捉える」という教えは、
もう気にすることは無い(放置・対処すること自体を止める)という解釈になります。
直面しないで逃避を目的にするこれは過ちに過ぎません。
今だに、
実際に起きたこと=本当の自分の姿
という解釈を否定的に扱っている体験が続いています。
そんな自分が出てくるのを何度も捉え直して、
逃げずに繰り返し受け取っていこうとし、
中途過程であると認められること、
不得意であることも認められることが、
本当の自分を良く理解しようとする「愛する行為」であり、
自分を肯定している姿です。
この行為が板についてくるころ、
外に責任を観たり、原因を視る指向も落ち着いていきます。
依存性が落ち着いてきている証です。
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