心のメモ帳にようこそ。
このブログが皆様のお役に立てますように。
文化慣習は教育にも大きな影響を及ぼします。
集団心理最優先が当たり前だったころのお話しになりますが、
「周りに従う・同じになる」のが前提でしつけが行われていました。
その意義から離れることは、
反抗または罪という意識を持った人もいらっしゃったのではないでしょうか?
それゆえの「強迫性・べき・ねばならない」が発達したのですから。
これでは心は育ちにくい。
自分そのものがわからなくなってしまいます。
本来の心育の目的は、
個人の心が成長することに主眼を置いていますから、
ことあるごとに、
①自分はどう感じているのか
②自分はどう思っているのか
③自分はどんな考え方に及んでいるのか
と内省や自問自答が必要になってきます。
つまり、
身近な家族だけでなく他者と関わるときは、
そこに「自分」を理解するチャンスがゴロゴロ転がっています。
これはどういうことかというと、
同じは無いという学習です。
感じ方も気持ちも思いも、それは個人を知る大事な情報です。
見落とせない部分となります。
文化慣習とは真逆ですね。
感じ方、物の味方や見立て方、時間の進み具合等、
じつは家族であっても全然違います。
本来の【愛する】があったなら、
無条件でいったん相手の状態を引き受ける意味がこもっていますので、
違って当たり前という視点があります。
だから、
①②③を相手から引き出すチャンスが日常会話に入ってきます。
これはどういう学習かというと、
「違いを許す、認める」学習です。
同時に、
本人が本人を理解する機会になってます。
ある意味、
同じになるような条件を持って人に期待をしていくほうが間違いw
という学習も出来るわけですね。
文化慣習の前提を覆していくと、
まったく違ったコミット法が現れてきます。
これは個性を引き出すという育て方です。
けして無法者にするという意味とは違います。
だいいち本気で自分を大切に扱おうと思うなら、
わざわざ無法者になりたいと思うものでしょうか?
自分を不幸に叩き落すようなものではないでしょうか?
愛する・許す・大切にするという3点の学習は、
結果的には個人の尊厳を守る意識を高め、
活かして生きる力を定着させてくれます。
日本人の自己肯定感の低さは理由があってのことなのです。
知らないということは恐ろしいものです。
対人関係や家庭問題で悩んでいる人は、
心育法の根本的な間違いを認め、
自分と他者をひとりの人間としてあらためて理解する視点を持ってください。
絡んだ糸がほどけていくチャンスになります。
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