欲が強いほどひとは苦しみます。
欲が強いほどひとは苦しみます。
長い話し合いの後でも、
ずっと白黒思考・ゼロ百思考だったひとが、
それをやめて、
相手の世界にも耳を傾けようとするトレーニングを進めると、
なんだか未来がボヤーーとしていて、
会話一つにしても、
それを相手がどう感じるかは相手の問題。
相手に任せるほかありません。
相手の感じ方まで、
こちらがコントロールすることはできません。
ノーを言われることもありえます。
会話は、
相手と自分自身を理解していくのに必要なものですが、
リスクがないとはえません。
ただ、
リスクを背負わなければ、
相手との架け橋はつながりません。
リスクのないものはないと自覚しておくこと、
勇気をもって構えておくことでも、
あなたの心は着実に成長してます。
本来の会話は、
承認欲求だけが目的ではありません。
もっと開放的です。
開放的でないほう会話と開放的の違いは、
その前提に、
管理・監視目的があるか否かです。
会話のトレーニングで、なんと自己変革できます。
相手の顔色を見てお伺いをする癖がある人も、
心の奥底には、
場の管理が目的になっている場合が多いもの。
そういう深層心理に気づいていくことで、
自己変革していけます。
はじめから、
場の管理が目的ではないとわかっていれば、
ストレスをる程度は軽減できます。
いつもと同じように返してほしい、
こんな風な態度で、
こんな風に会話して欲しいとなどとなっていたら、
それが管理・監視です。
余談ですが、
日常生活では、
管理しておかなければいけないものもあります。
お金の使い方、教育方針、介護の方針は、
その対象にあがりやすいもの。
無法状態にするわけにはいかないものがありますよね。
会話は、
立場性が違えば当然のことながら噛み合いません。
討論は、
論点の明確化に欠かせませんが、
それでもかみ合わないことが起こります。
そんなときは、
話し合うだけ話し、
それが「正論」かどうかがわかるのは、
ずっと後のことなのだと知っておくことです。
時間の中で徐々にわかってきて、
それを一旦受け入れて、
また改変していくほかないと構えるのも、
パートナーシップでは大事なトレーニングです。
パートナーを選び、
パートナーと共に生きる道を選んだなら、
避けては通れない関わり方と責任の取り方です。
人間は、
ひとりひとり違った『脳』を持っているので、
必然的に、
その脳の『想像物』に閉じこもってしまいやすい。
そのことを知っておかないと、
どこまでも独り善がりになって、
取り返しのつかないことを引き起こしていきます。
家庭の事情だってそのひとつです。
人間関係は難しいと避けてしまいがちな人もいますが、
見方を変えると、
閉じこもってしまいやすい状態から、
未来があるほうへ引き戻してくれる貴重な体験と考えることができます。
パートナーであれ、子どもであれ、
よく話を聞くようにして、
相手がどんな考え方や未来計画を持っていたか、
初めてわかったという人が少なくありません。
自分のほうで、
夫(妻)は○○と考えているはずだ。
子どもは△△と思っているに違いない。
などと、
決めてかかっているものです。
どれも『私の世界が正しい』と信じてたがために、
起こっていること。
こうしてみると、
聞くは自分のため。
自己革新のためにあるもの。
大切な行為なので、たくさんやってみてください( `ー´)ノ
管理も監視も、
トレーニングは、
自分の苦しみが何から生まれているのかを知り、
自分のちからで、
自分の心を変えていくために行います。
それは、
今までとは違った『異質なもの』を取り入れていくのと同じなので、
ちょっと不安があるかもしれませんが、
そんなときは、
古いものから離れて、愛のある世界に移行するのだと思ってみてください。
相手の話を聞くことは、
異質な意見や価値観を、
いったん自分のなかに受け止めていく姿勢です。
どうしても怖かったら、
『仮に』と、
自分に言い聞かせて一旦和らげ、
トレーニングするといいですね。
白黒思考・ゼロ百思考の脱出にも役立ってくれます。
そしてその後に、
(こっそりと)
凝り固まった『私の世界』に閉じこもっていたかったのかなぁと、
想像してみると、
意外なほど、
新しい世界のほうが身近になっているものです。
そのまま新しいほうへ向かって、
価値観の改変を試みましょう。
ブラッシュアップ、
バージョンアップ、
新しいあなたのポリシーのほうが、
あなたにずっと合っているかもしれないですよ。
♫
パワーゲームは押し問答。
どっちが主権をとるか、
争っていると想像してください。
嫌でしょうこれ。
苦痛ですし、何より疲れます。
心の習慣を捨てて、
冷静になれたら、
相手の話を最後までよく聞くようにしてみましょう。
トレーニングの復習。
・自分の監視や要求に気づいたところで、加点。
・深呼吸して冷静になる時間を作ったで、加点。
・相手の話を聞こうとしたで、加点。
・口を挟まず、自分の感情をちょっと自制してみたで、加点。
・最後まで聞けたで、加点。
細かく段階を区切ってあげると、
加点しやすくなります。
たとえ、
つい口を挟んでしまったとしても、
途中まで加点して、
あともう少しの努力だねと励ましてください。
♫
昨日のトレーニングを始めると、
援助をしているつもりが、
それは錯覚。
事実は管理・監視になってます。
この苦しみは、気づいてない人が多い。
『より良い状態』を先行すればするほど、
自分が何より苦しくなるって仕組みです。
ここで気づいて、
欲求を控えられるようになると、
思いがけず静かな時間が訪れます。
心の持ち方が変わって、
はじめて柔らかい空間が生まれます。
穏やかな心になって、
相手の話を聞く側に立つ練習もいい。
聞く技術は、
話す技術と同等に必要ですから。
聞く体制をとってみて、
初めてわかる相手の気持ちもありますし、
これからの未来が見えてくるものです。
相手が▼▼だから、わたしは気分が悪いのよ。
これがきっかけになって、
『あなたこうして!』となりそうになったら、
それに気づいて、
誰がそうしてもらったらいいのか、
ちょっと自分に聞いてみて。
私がこうしてもらえたら一番都合がいい。
と、なるはずだから。
これで望みが明確になります。
で、次に、
「それ本当に必要なこと?それじゃないと絶対ダメなの?」
と、また聞いてみましょう。
すると、
相手をコントロールしたがっている『私』がハッキリします。
なんでも、今やらなきゃ気がすまない、
なんでも、今聞かなきゃ気がすまない、
なんでも、今片づけなきゃきがすまない。
なんでも、こうなってなきゃ気がすまない。
となってませんか?
自分で自分を追い込んでます。
気づいてますか?
持ってるだけで辛いですよ。
私が・・・の文章に一旦思い切って変えてみると、
言動のなかにある『私の姿』と『私の望み』がみえてきます。
苦しみから救ってあげられるのは、自分自身です。
あらんヤダもう・・私ったら(照)。
クスッと笑えたら、
思いやりと優しさが心の中に広がってます。
以前より、
優しい世界で、
それに相応しい言葉を、
頭の中で自然と探しているあなたがいるだろうと思います。
私は○○だなぁ。
私はこうしたいかなぁ。
私はこう考えるかなぁ。
かつかつした会議と違って、
有効的な交流では、
『私』の主語から始まって、
語尾は、ちょっと長めにする。
優しい表現に聞こえます。
パートナーや家族なら、
これぐらいのほうがいいです。
白黒思考をやめると、
なんとなく未来がぼやけて見える感じがします。
それでいいのです。
幼い愛は縛るの言葉の通り。
その逆を狙うのですから( `ー´)ノ
グレーな感じがするかもしれません。
そこで、
不安にならずに(これ減点式)、
どんな風になるのか楽しみだな(加点式)で見れば、
立派な実践です。
相手は相手の人生で学んでいます。
あなたもあなたの人生で学んでいます。
同じ屋根の下に暮らしているけれど、
それでも、
意見やペースは違って当たり前なのです。
相手の束縛は、
身勝手にも、
自我の世界観へ相手を引きずり込んでいるだけと、
考えるといいかもしれません。
パートナーとは日々『交渉』を重ねて、
互いのルールを常に改変しながら、
ハッキリしてない道を一緒に並んで歩いているようなものですから。
つぎは白黒思考からの脱出。
これも苦戦しますがトレーニングしていきましょう。
7/25日ブログの下線の部分の説明です。
自我の仮想世界から目が覚めて、
心に優しさが入り込んでくると、
心は落ち着きを取り戻します。
今度は、
思いを相手に伝える段階に入ります。
日常生活の会話を個々にご紹介することはできません。
具体的にセリフで覚えても通用しないからです。
それは、場のコントロールに過ぎませんからよろしくありません。
ではどうしたらよいのか?
ポイントをご紹介してきます。
・批判目的
・正誤をハッキリさせるための言動
・相手を誘導しようとする
・自分と同一意見に仕向けようとする
・相手の言い分に聞く気になれない
・早くなんとかしたい
上記の条件に当てはまるものは、
堰を切ったように『こうして』と要求してしまうもの。
そのほうが『ことが早く済む』ように感じますしね。
でも、これは思いを伝えるという行為にはなってません。
欲望を通すための行為です。
『私』が安心したいだけだから。
みごと闘争に当てはまってますでしょ。
そして、
以前ご紹介した『愛の世界で必要なもの』を取り入れて欲しいのです。
あれらの概要を基に、
オリジナルなコミュニケーションをつくっていくことが、
本当のトレーニングなのです。
減点式、
劣等意識で『私』の世界を作っていたら、
自動的に厄介な心の使い方まで生まれます。
人と比べて劣っているという考え方は、
人よりも優っているのが大事という物差しを自動的につくり、
優っていれば大丈夫と慢心するようにさえなります。
主観の世界は、いつのまにやら競争・勝敗・上下になります。
そのことに気づいてますか?
自動的に闘争心に結びつくような仕組み。
ゆれに『怒り』は避けて通れなくなります。
イライラがどうして出てきていたか、
これでわかっていただけたかしら。
パートナーと闘争、
子どもと闘争、
これで心が苦しくないわけがありません。
辛かったですね。
余計な願望を手放して、
もう闘争しなくていいですよ。
人間のもつ劣等感や罪悪感は、
闘争のためにあるのではなく、自己研鑚のために備わっているのです。
慢心を強化するためではなくて、
慢心を見破ってステップアップするためにあります(^^ゞ
人の欲望と『私の世界』は、
むやみに放っておくと、
利己的に捉えてすぐ慢心になるってお勉強だったのです。
でも人間は、
自分でそれを自制し、
不善を善に正していく精神活動を持ってます。
その技術は、鍛えるほど高尚になります。
その素晴らしさを味わうために生きています。
生きる上で大事なことは、
他者との競争や勝ち負けによって優劣を決定し、
心を安住させることではありません。
ものごとを深く理解し、
根本的な部分で『心が安らう』ようにしてあげることです( `ー´)ノ
劣等意識にむやみに浸かる必要はありません。
それにより、
神経過敏になるのですから。
『敵意が向けられている』ような錯覚まで起こします。
なんでもない視線ですら、
自分を蔑んでいるようなものにだって映ります。
責められているようにだって映ります。
傷つけられたと疑わないだろうと思います。
相手がだれであれ、
それを持ち歩いている限りよく傷つきます。
苦しくないわけがありません。
でもよく見れば主観の世界です。
では、どうしたらよいのか?
理解して、
あなたの力であなたの心の中を変えるトレーニングをすれば、
世界の映り方は変わっていきます。
根本的なところから改革して、
心をラクにしてください。