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⑦幼児期後期(3歳から4歳前後)
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補足です。
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補足です。
健康な自己愛のもとになるのが、
優しく温かく見守ってくれる『母性』の姿であるとご紹介しました。
この『母性』についてですが、
ふたつあります。
肯定的な母性性 と 否定的な母性性。
否定的な母性性の特徴は、
境界線を引かず、
自分の心に内在する要求を叶えるほうに焦点が当たったまま、
相手に対処する姿です。
これは、
相手の尊厳を守るのではなく、
むしろ呑み込んでいく母性の姿です。
不健全なため、
心理学ではあえて「否定的な母性性」という名で分けています。
不安だからこうして、
安心したいからこうして等の条件を常に持ったまま、
他者に関わる心理特徴を、
キチンと分けてトレーニングしましょう。
無意識とはいえ、
否定的な母性を心に育てたまま、
親密な関係を持った場合に考えられることは、
・強い同一化願望
・過干渉
・過保護
といったものです。
どれも相手側の『個人の尊厳』をけして守っている対応ではありません。
ゆく先々のことも考えて、
大事な知識なので役立ててください。
もしも、
自分が他者を前にしたときに、
上記のような対応をしているのに気がいたら、
それを宥め・諭すトレーニング中に、
肯定的な母性性が育ちます。
トライアルしてください。
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母と子の交流を連想しながらトレーニングに役立ててください。
毎日、あなたがあなたをどのように扱っていくかが、
あなたの生活を変えていきます。
①胎児期
胎教という言葉をご存知ですか?
胎児が母体のなかで交流しています。
統計をみても、
妊娠中の母親の心理作用が随分と関わっているように思います。
胎児の育成環境が、
神経質でピリピリしている環境下で成長するのと、
のんびりゆったりした環境下で成長するのとでは、
違いがあるように思います。
胎児の神経系が一体どこで育成されるのかと考えれば、
まったく影響がないとは言い切れません。
むしろ大事なことではないでしょうか?
そういう視点で見れば、
『遺伝的』と言えるものを納得せざるを得ません。
神経質な祖母に習わず、
ゆったりのんびりを心がけた胎教によって、
孫は、全く違うという事実も起こっています。
②出産
出産は、胎児にとっての大きな課題であり体験です。
出産は、生まれてみるまで何が起こるかわかりません。
難産の経験をするお子様もいます。
意識にのぼらないけれども、
閉塞感や圧縮の恐怖を脳裏に焼き付けている可能性もあります。
意識できない部分から起こる内的状況(恐怖心)は、
一つの仮説を取り入れることで整合し、
今一度、
自分で自分を育成し直す楽しさにつなげられるのではないでしょうか?
優しく、保護するように、
あなた自身をハグしてみたり、
マッサージでご自分をさすってあげたりするのは、
神経を鎮ませ、
セロトニン(幸福物質)を放出するチャンスになるのではないかと思います。
感覚を頼りに自分を楽しませる工夫を、
日常的に、
かつ積極的に取り入れてください。
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一通り、
甘えられるかどうかの判断基準で人を裁いてしまう問題についての説明は終わり、
次に、
心育・改善を目指した内容に取り組んでいこうと思います。
コツコツ取り組んで目指す先は、
共依存コミュニケーションにハマらず、
自然な好き嫌いセンサーを呼び覚まし、
自然な自分の感情の取り扱い方も知って、
自分らしく自己主張できるように成長し、
他者の前でも、
自然な感情に身を任せながら関われるようになるのを目指します。
(長いなw)
大筋、概要を知っていただいて、
現場でひとつひとつ自分で取り組み、
習得していきます。
七日間で君は生まれ変わる等の内容ではありません。
自己鍛錬システムをここからは導入します。
観察・洞察・分析・実行するというもの。
自分磨き = 自利
実践あっての是正です。
健全な道を進むための明かり役として、
心理発達理論をご紹介します。
大昔も、現代もなぜか道筋は一緒。
子どもの頃から自己鍛錬していくほうが、
実り豊かな人生になると教えています。
初めて心理発達論を読んだとき、
こういう内容が多くの人の目に触れていたなら、
機能不全家族、アダルトチルドレン、
アダルトチルドレンファザー・マザーなどという苦しみを、
味合わなくて済んだのではと考えてしまいました。
自己鍛錬システムを取り入れる人は、
あなたが親であり子です。
先生であり生徒です。
導き手であり導かれる者です。
これを機に、
優しくて、
温かくて、
和やかな親心(母性や父性)の役目を、
あなたのなかに作って活用してください。
甘えられるかどうかの判断基準で人を裁いてしまっていた事実は、
子どもの頃に抑圧した欲求が出口を探して、
最後に、
不健全な罪悪視に伴っていく困った意識作用のお話です。
ひとつは、とことんダメ出し。
自己断罪です。
言葉だけでなく、
自分を叩くなどの行為を持ち出す人がいます。
あなたの中のサディスティック要素にお気づきですか?
また、
親に責められただけで、
あとは自分で考えろと突き放されてしまうような体験ばかりだと、
責めればお終いという対処法を学んでしまいます。
自己を断罪することで存在価値を高めたり、
確かめようとする誤った防衛法です。
痛みを増長する行為なので気をつけてください。
もうひとつは反復行動です。
同じ行為を何度も繰り返してしまうことですね。
支配をしてくるような人にわざわざ近づいて、
自己の存在価値を確かめようとする行為に及びます。
あなたのなかのマゾヒスティック要素にお気づきですか?
頭の片隅にそうなるかもと予感しながら行為に及び、
やっぱりこうなるんだよね、
やっぱりダメな子なんだと、
証明するような行動に出る場合は、
それで自己の存在を確かめようとする誤った防衛法です。
どちらも、
罪悪視のなかで本当の自分という存在が曖昧になってしまい、
何とかして、
自分を感じようとして持ってしまったスキルではないでしょうか。
どれも外してください。
それら妨害するものを理解して持ち出さず、
生活をしてみてください。
新しい意識改革のもと、
あなた本来の好きや嫌いのセンサーや、
本来の自然な感情が活躍できるようにしてあげてくださいね。
不健全な罪悪視の説明をしています。
子どもが怒りを表現した際に、
怒りの発端になった子どもの要求に焦点が当たるのではなく、
親側の要求に焦点が当たっている対処方法で、
怒りの扱い方が不健全になっていきます。
たとえば、
出来てなければいけないと常に怒られたり、
ダメな子、
馬鹿ね、
頭が悪いわね、
どうしてあなたはいつもそうなの、
何もできないわね、
いったい何回言ったらわかるの、
等。
このように、
恥をかかせたり、
家族の前でからかわれたり、
揚げ足を取られたり、
孤立させるなどの恐怖を子どもに何度も味合わされると、
子どもは『尊厳を守られる感覚』がわからなくなります。
子どもは、
存在そのものを’罪’と受け取ってしまいやすい。
繰り返すうちに子どもは、
怒りを出したらいけない、
感情を出すのはいけないことだと学習します。
対処した親側は、
意識したかどうかは別として、
子どもに罪意識を持たせたほうが、
親側の要求のほうへと誘導しやすくなるのを覚えます。
さらに誤った対処法は、
内なる要求をうまく言葉で表現できない親自身も、
この経緯の経験者なため、
不機嫌という形で周りに知らせる以外の手段を知りません。
結果、
子どもは親の怒りを鎮めるために、
『ごめんなさい』を選択し、
安全を確保しようと努力します。
いつのまにか家庭が、
監視と監修のような関係に至ってしまいます。
子どもの頃に親から教わった対処通りに、
間違った場合は、
自分に罪悪視を向けるべきだという内容が身につきます。
その後長い間、
不健全な罪悪視を使い続けるのは、
親の姿をそのまま自分の意識の中に落とし込んでいるためです。
罪悪視で自分を見るように、
きっと他人もそう見るに違いないと考えてしまい、
神経症や不安症になります。
もしかしたら、
罪悪視を持っているあなたに対して、
もっと自信を持っていいんだよと援助してくれた人の言葉を、
あなた自身で、
撥ね退けてしまった経験がひとつぐらいはあるのではないでしょうか?
これからは、
不健全な罪悪視を持ち出したときは、
できるかぎり分別してください。
前を向きたいと願っているときに、
足を引っ張るような苦しいベクトルは、
あなた自身で気づいて取ってあげてくださいね。
明日は、
不健全な罪悪視に伴っていく気をつけたい意識作用のお話です。
子どもは『怒り』と『幼児性万能感』の力を通して、
自己主張をしていき、
自己主張を通すなかで、
『ありがとう』と『ごめんなさい』を学びます。
懺悔と感謝の学びといいます。
『ありがとう』のときは、
ちょっと照れた感じでニコッとします。
尊厳を守られてすごくうれしいです。
それを叶えてくれた協力に対して、
感謝を学びます。
『ごめんなさい』のときは、
償いというかたちのなかで抑うつ(シュン・・・)を経験します。
人間は、習わなくても自然と抑うつをします。
それを体験するのはなんと幼児期です。
ここでの抑うつは、精神疾患の’うつ’とは違いますので、
間違えないでくださいね。
抑うつの感覚と良くないことが紐づけられます。
自分のあの行為が『罪』という意識が湧き、
そして、
この罪悪感の体験を元手に、
どのように改善したら良くなるのかなぁと前向きに捉え直し、
具体的な改善策に繋げます。
つまり、
罪悪感は改善の動機のためにあるものという位置づけ。
理解する力、
意識の切り替え、
気分の切り替え、
内省から挑戦への切り替え、
という具合に使用するのが健全な罪悪感です。
償いという行為への結び付けでもありますが、
なによりもこの時期は、
改善すると人は成長し、
心地良い関係を改めてつくれるんだって喜びに、
スポットライトが当たっているかどうか。
これを学習してきましたか?
凹んでも、
温かい眼差しとアポートを受けて復活する体験に対して、
不健全な罪悪視は、
この状況を通り過ぎるかの如く、
責め立てて罰します。
ひょっとすると、
他者を通して、
こちらをたくさん体験してきていませんか?
続きは明日。
先に健全な罪悪感を身につける過程をご説明します。
家族関係を見直す材料、
自己心育の材料にしてください。
三つ子の魂百までって言葉ご存知ですか?
これね、心育の重要性を表現しています。
幼児期前半までに、
・温かなまなざしが常に自分に向けられている体験→健全な自己愛、
・養育者が側にいて、訴えると与えられる安心感の体験→基本的信頼感
見守ってくれる存在が必ずある感覚が宿ります。
そこから一人で居られる能力を育てます。
そして次に、
原初的な生理的感情の『怒り』の扱い方を学びます。
この頃、
人間は幼児性万能感をもっているため、
自分を世界の中心だと思い込む力があります。(これは健全)
要求に対して周りの人に返してもらえない場合、
イヤイヤ病が始まります。
この時期の怒りは、意識して止められるものではありません。
(自然な感情というものの原初形です)
出てきた怒りを自分はどのように扱ったらよいのか、
怒りをどのように洗練させて、
自己主張や自己表現に繋げるたらよいのかを、
親を通して学びます。
これは、個性の土台になりますのでとっても重要です。
怒りの原因になった子どもの要求に焦点が当たって、
対処するのが健全です。
それが欲しいの?でも困ったね・・・・という感じ。
そうでないと、
子どもは何に怒っているか自分でもわかりません。
生理作用の発露と状況を紐づけるのは親の役目です。
要求に対して、
こういう理由で今は無理なんだよという場面がないと、
子どもは尊厳を守られた感覚がわかりません。
たとえ要求通りにならなくても、
尊厳を守られた感覚があるから、
人間の怒りは徐々に静まります。
(→宥めと諭しのトレーニングのところですよ)
この体験がたくさんあるほうが、
健全な罪悪感の勉強がスムーズにいくようになります。
落ち着いて身につける土台であり、必要な環境です。
一方、
子どもに対して、
弱々しい親、いつも緊張している親、厳しすぎる親、忙しい親だと、
子どもより親のほうに焦点が当たってしまって、
子どものためになる対応が出来なくなってしまいます。
子を持つ親も、
家庭を守るために一生懸命に努力をしていますが、
ちょっとの意識の差で、
心育の土台が違ってしまうという事実があります。
続きは明日。