未発達な精神状態だと、
自他の区別(感情、思考、価値観、状況)が、
よくわからない状態になります。
カウンセリングでは、
こうしたことも会話の中でピックアップできます。
生活のあちこちに、
妄想が侵入し成り立ってることが少なくありません。
こういうときは○○だと条件を付けていて、
それ以外は否定。
愛じゃないとしてます。
つまり『認めない』という形になってます。
言い方一つ妄想の中で決めていることも。
たとえば、
よくある女子会。
愚痴のなかに、
『言い方ってあるじゃない💢』とAさんが訴えてます。
そんな場面に出くわしたことはありませんか?
その剣幕に、
『そうよね~』なんて返答しているだろうと思います。
そうして深入りは避けるだろうと思います。
ちょっと目線を変えてみると、
『言い方』を決めているのですよ。
Aさんには基準があります。
その基準から相手がかけ離れているので不愉快になってます。
始終こんな感じ(強迫性)で、
近親者を管理している場合が多いものです。
だから家族に対しての小言がとても多くなります。
『こうなっていなければいけない妄想』= 心の性向に気づけますか?
家族の目的は管理なのでしょうか。
それでは強制収容所と変わりありません。
援助と管理は紙一重。
愛と欲望も紙一重。
本題がすり替わりってるってあるんですね。
ご自身の望むところを訪ねてみると、
ふいに沈黙するのは、
ご本人がその妄想を言葉にすることが出来ないか、
言葉にしてしまうと自分の立場が危険だと感知したかです。
言葉にすれば、
要求の内容や自己正当化に疑いがかかります。
それを避けたくなるのはエゴの仕業です。
偏った要求と知らずに持ち歩いているのかも?と気づきを持ち、
『妄想』を改めて俎上にのせると、
わたしたちはお互い思いがけないほどの自由を得ます。
本当の望みを書き出してみると、
不機嫌のつじつまが合うものです。
お互いを縛らない自由な交流は、
方法論を変えるとけして夢ではありません。