バレンタインデーですね。
エネルギーが泉のようにたくさん湧いています。
幸せモードな毎日です。
ときに、
そのエネルギーを、
ただ注いであげたいと思える人が現れます。
ただそれだけで、
自分のエネルギーが前よりも増しています。
ほのぼのとした愛情は、
自然とひとのほうへ流れ出すものです。
素敵な一日になりますように。
バレンタインデーですね。
エネルギーが泉のようにたくさん湧いています。
幸せモードな毎日です。
ときに、
そのエネルギーを、
ただ注いであげたいと思える人が現れます。
ただそれだけで、
自分のエネルギーが前よりも増しています。
ほのぼのとした愛情は、
自然とひとのほうへ流れ出すものです。
素敵な一日になりますように。
いつ頃、妄想を描いて親しむようになったのかしら!?と、
クライアントさんと対話を進めていくと、
はるか昔、
子どもの自分が押し込んでいた感情と、
まわりに伝えたかった言い分が見つかります。
・一緒に家族と仲良く遊んだ経験が少ない(そんな暇はないといわれる)
・可愛いと言ってもらったことがない(ほかの子を褒めるだけ)
・のんびりボーッとしてるのを許されない(手伝いや勉強をしてないといけない)
・不出来が許されない(いつも出来てないといけない)
・楽しくふざけたりした経験がない(親がいつも不機嫌で楽しくしてると怒られる)
・泣いたとき、話を聞いてもらったことがない(泣くのをやめなさいといわれる)
・頭をなでてもらったことがない(なんでそんなことが必要なの?といわれる)
・寂しいときは一緒に寝て欲しかった(一人で寝なさいと言われるだけ)
など。
保護をされた感覚が希薄で、
近親者と信頼関係が結ばれてるような状況ではありません。
安全感がなくただ所属してるってだけ。
こうした被害者意識がたくさんあります。
対話の中で苦境に立たされた自分をみつけ、
温かく、優しい涙を浮かべる人もいます。
本当の愛情を持って自分と接し、愛した瞬間です。
そこには、
自分に向けた『軽蔑』の目など見当たりません。
軽蔑してる場合ではないと、意識が覚醒します。
大きな心がボワッと広がる瞬間。
純粋な愛に包まれた瞬間です。
知恵袋。実践哲学が教えてくれたこと。
想像だけが問題なのではありません。
注目。
わたしたちは眼球から入ってきた情報源を、
ここで加工が起こります。
写真写りが悪いとか、
本当のわたし・僕はもっといいとか、
あの人はもっと○○だと思ってたとか、
意見が割れるのは
加工する機能が働いているため。
ウン千年も前から、
人の悩みは、なにも変わっちゃいないのだろうと思います。
紀元前に仏陀が八正道の中で、
一番最初に『正見』を挙げたのがなんかわかる気がする。
人生の幸不幸は邪見にはじまると。
脳の幻惑を見破れるかどうかなんだろうと思う。
いつの世にも真理は当てはまってますね。
たとえば、
恋は精神疾患のひとつとまで言われますでしょ。
蓼食う虫も好き好き。
あばたもえくぼ。
これも加工が働いているから。。。。
一時の熱情は、
自分の妄想を相手に投影しているからです。
で、ハネムーン期を過ぎると、
現実の相手が見えてきて熱が冷める。
これは妄想から目が覚めたってだけ。
相手が悪いわけではない。
恋愛する人の心理をよく観察するときのテクです。
恋愛にはパーソナリティが明らかに出ますから。
これからのキーワードは、
正見→ありのままに見よう
だね。
ストーリーの中に現れてくるいくつかのパターン。
そこにはご本人が意識上にのぼらせていない、
特徴的な『心の願望(性向)』が存在します。
・正当化
・支配欲
・支配されたい欲
・統制
・特権意識
・エロイズム
・過去の栄光の証明
・記憶の再現
など。
(代表を載せておきます)
心の奥深くから望んでいるものが、
盛られて筋書きが創られています。
この筋書きを侮ってはいけません。
筋書きから外れる他者に向かって、
かならず非難してしまうから。
いわゆるDV・モラハラはこれが原因。
パートナーや家族、社会に対しての不平不満は、
妄想世界観からズレてると批判してるものがほとんど。
他人との間で、もし悶着が絶えないのなら、
欲求の質や量に、
誇大妄想が入りでいないか確認です。
昨日の続き。
代表的なストーリーを例にとりました。
ご本人の言い分では、
アニメやドラマのフィクションのような内容ですし、
意外といけるんちゃう!?と思っちゃうんでしょうね(変な日本語)。
こうした想像の飛躍には、
かならず人に満たしてもらいたい一方的な願望と、
同時に、
多大な保護と甘えの欲求が含まれています。
(だから我想(エゴイズム)といわれます)
自分を軽蔑する癖があったならなおのことなのです。
なぜなら、自分を頼りにすることは出来ませんから。
必然だったのです。
ご自身を軽蔑せず、尊び大事にすることがどれほど重要か。
理解するのが改善の一歩です。
毎日の生活に息苦しさを感じながらも、
その場に所属してなければならないのは苦痛です。
すると、
せめて心だけでもそこから逃れたい。
こうした動機から、
意識を別次元(妄想)に飛ばしていきます。
では代表的な妄想ストーリーを取り上げます。
苦痛から助けられて幸せになる物語。
絶望の淵から高嶺の花へ。
主役の自分に対し、誰もが労力を捧げ尽くします。
異性から寵愛されるシーンも盛ります。
どんなストーリーでも最後には、
誰からも注目を集め、崇められるようなパターンに盛りやすい。
これは、
特別な存在感を放つ位置づけにすることで、
エゴの劣等や無価値観を飛躍的に払拭できるからですね。
人間の本能的な自我防衛手段です。
わたしたちは教わらずとも生命存続欲があり、
自然と脳でやっているのですね。
(ゆえに争います)
また、
人間は居心地の良いもの(快楽)のほうを選びやすいイキモノ。
妄想の中の自我像のほうが気に入ってしまうのですね。
それでこちらが重要視され、パーソナリティにとり込まれます。
昨年秋ごろ(だったかしら)、
『隠れナルシシスト』についてブログで取り上げましたが、
そもそもの発端がコレです。
ものごとには始まりがあります。
もし今日のような状況があるなら、
信頼できる人を探しましょう。
主観と客観のズレから軌道修正が適いますよ。