社会に参加していても、
それが楽しくて仕方がない人もいれば、
辛くてたまらない人もいます。
同じ状況に身を置いていても、
心の景色は天地ほどの差があります。
精神科に来院して、
『社会不適応』たる言葉を、
聞いた人もいらっしゃるかもしれません。
ちょっと簡単に説明します。
人は、
その年齢にふさわしい心の欲求を、
他者を交えながら満足させると、
要求を卒業し、次へのステップに上がります。
徐々に成長するほど社会環境に自然と適応しやすくなります。
(知性と理性が感情を諭せるようになるからよね)
沢山の人が関わり合う社会ですから、
人と上手く交流するほど社会参加は楽しくなり、
同時に満足も増えていきます。
心が満足しているから、自然と人に優しくなれます。
ところが、
子どもの頃から心の満足を得ることなく、
不満を大量に抱えたままだと、
その時点で止まっちゃうというのです。
繰り返される不満に出会うたび人間不信に陥っていて、
人に優しくする余裕などありません。
不満感情を抱えるだけで精一杯で、
しかも、それが外へ溢れそうで不安です。
こうした状態にも関わらず、
肉体的、年齢的には大人になってますので、
次から次へと責任が圧し掛かってきます。
心理的成長を遂げて社会に適応しているのと、
心理的成長を遂げず社会に適応してるかのように映すのでは、
心理的負担は天地の差。
先にご紹介してきました青年期の繰り返し(こじらせ)は、
こうした心理事情が背景にあったからです。
また、
いくら社会適応しているかの如くに見せていても、
たとえ社会的成功に届いていても、
後者であれば心理的には不満です。
心の状態はけして優しくありません。
人にこころから優しくなど出来ません。
なぜなら知らないからです。
愛されて、守られて育った人には、全く分からない事情です。
甘えることも許されず、
守ってもらうことも知らず、
一日も早く『やれるようになれ』と言われてきた人たちにとっては、
本当に優しくなる、
こころから満足する、
大切にされる心地良さなどが、
身についておらずわかりません。
実際はいまだ困惑中なのです。
幼児的願望の充足が叶わぬまま、
好きなことも分からず、
ただ『形式』の中に納まり学ばされた人たちは、
満たされぬままの『あのころ』で止まったままなのです。
臨床家たちはその状態を、
『5歳児に社会の重荷を背合わせているようなものだ。』
と、表現しました。
それは、あながち嘘ではありません。
あなたも想像してみてください。
本当に、苦痛の中を生きています。
お問い合わせはこちら↓
https://www.ryohanamizuki.com/
☆自然療法の宝物 アーユルヴェティックライフブログも不定期更新中☆
https://www.ryohanamizuki.com/blog-1
・恋愛嗜癖ラブアディクション相談(対人依存でお困りの方)
ご相談お待ちしております。
☆星詠み&メンタルヘルスコース☆
50分6000円で承っております。
自己の物語を星の羅針盤から詠みとります。
信じるよりもただ使ってみる。自己探求のヒントにどうぞ。