質問内容。
ブログを読んで、
自分はこじらせ組だと認めようと思いました。
以前のブログであった自己愛性人格もあると思います。
どうしても大きく見せておかなければと思ってしまいます。
なぜ自分はこんなにも大きく見せておかなければいけないと、
思ってしまうのでしょうか?
回答です。
まず先に、今回の質問を通して、
あなたの中にコーチ役に相応しい誠実な種が、
しっかり蒔かれているのを感じます。
それ大切に育てていきたいですね。
では、心理構造を掴んでみましょう。
自分が大きくなる。って楽しいことですよね。
等身大より盛り盛りって、
ある意味、俳優や女優をしているような感覚です。
この心理、
ごっご遊びに夢中になる子どもによく見られます。
思い出せますでしょうか?
ついでにときが来たら、役を下せばいいですね。
だからさらに心地がいい。
責任をとる必要もなく、ただやっている心地良さ。
この時は、
その役柄が、
どのようにしてつくられていくのかなどへ意識は回らず、
当然責任を取るなどとは、
身についていない幼児心理です。
現実プロセスなど考える余地など無く、
ただなりきった役を、
人が傍らで賞賛や承認してくれるので、ことさら心地がいいわけです。
これは癖になります。
しかし、それがずっと続けてられないのが心理成長です。
なりきりに『おや?』と思える時が来るはずなのです。
周りがそれをやっていなくなったり、
ズレが生じて疑問が生じるのね。
これはある意味自然な卒業を指します。
で、『あれになりたい!』と願ったら、
今度はそのプロセスに身を置いていきます。
それなりの苦労を伴うのは自然なことで、
その自然に適切な言葉づけと援助の中、
辛苦の経験を通過して目標に達します。
という過程が恐らく経験不足なのではないでしょうか?
心理成長を遂げておらず、
先に取り上げた行動が心地よくなっていれば、
それは行動依存といって、
アルコール依存や薬物依存と変わらない状態に達してます。
行動原理が修正せれずに板につき、
中心軸に置かれると悲惨な状態に向かいます。
言い出す
↓
他人を巻き込む、一見順応しているように映る(疑似大人)
↓
わき役たちと上手くいっているうちは誇大、高揚、自信家。
↓
ずれが生じて役柄が合わなくなる、焦る、イライラする
↓
不愉快だから事態を放棄してしまえばいいかとなる
↓
気持ちがスッキリする、開放感、無責任でも気にならない
↓
また振出しに戻る
延々と『立派な自分探し』を続けます。
①境界性・・・・実態と美化の見分けがつかなくなっている精神構造
②自己愛性・・・・実力と誇大自己の見境が分からなくなっている精神構造
二つが重複してる可能性大。
使えば使うほど、
習慣が板につき人格になってます。
コーチングをする場所は、
途中放棄をするところです。
美化もいりません。
実態が本当の自分ですから、
こちらを『自分で在る』と認めていきます。
現実的な実力をつける期間を沢山設けていきましょう。
やってるうちに耐性もついていきます。
現実プロセスに着手する期間は、
人と議論を交わしたり、
指摘をしたり・されたりするときでもあります。
慣れてください。
誇大自己が破られる痛みが自然発生するときでもありますが、
美化した自分に固執したことが迷子の原因だったと、
どんと受け容れるコーチをすることです。
『この結果は私ではない、僕ではない』と、
いくら言っても、
それが今の実力ですし、実態です。
ドンと受け止めるとき『愛と優しさが育つ』のです。
逆説的に、
『これはヤダ』と、
あなたがあなたを放棄する行為は『愛がない行為』です。
いずれにしろ、
わたしたち人間は大人になる過程で、
自分自身の真の実力をどんなかたちであれ、
受け止めなければいけません。
予想した理想の状態に至らずとも、
自分はこの器だったんだなぁと納得し、
受容して満足し、卒業する過程が必要になります。
それこそが誠実であり、
一段上から自分をみれる『大きな器の人(おとな)』なのです。
これ、尊い行為です♡
愛ある行為で紡いだ自分像が『本当の自分』で、
誠実な姿そのものです。
それは『とても居心地のよい自分』であるはずです。
以上です。
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