2025年1月10日金曜日

「いい加減をする」を知らずに生きるという苦痛

心のメモ帳にようこそ。

このブログが皆様のお役に立てますように。 



ご高齢の方々にお話を伺うと、

「有無言わさなかった」「やるのが当たり前」という言葉が、

常套句のように返ってきます。


戦後、高度経済成長を遂げようと政治方針が打ち出され、

そうした動きのなかで実際に物資に恵まれた国になったと思います。


その当時心の安らぎや家庭について携わることができなかった人たちに対し、

今を生きるわたしたちは、

「今、心の豊かさについて実現しているよ」もしくは「実現していくよ」と、

墓前に供養もできるはずです。


有無言わさず、

身を粉にして尽くすことが美徳とした慣習で、

自分に課せられた責務を果たそうとそうとう苦悩したはずです。


人権を守るという本来の意味からちょっとずれた解釈にもなっていますので、

理不尽を感じずにはいられなかっただろうと思います。


心の内を明かさずに日々暮らし、

問題は、

一人が抱えている責務をどう分担するかに焦点が当たります。


いつしか自分の尊厳を守るための正義に育児が変わり果て、

家族(特に子ども)に、

重い責務を一緒に抱えてもらうというスタイルが出来上がります。


本来のパートナーは伴侶ですが、

外に駆り出されて手を借りるわけにはいきませんので、

小さな子どもが伴侶の立ち位置に繰り上げされ代わりを担わされます。


このことは心理学の世界では『家族システム論』という名で、

研究されています。


親事態に心の余裕がなく、

子どもも心の内を明かす場を失い、

プレッシャーを感じつつ、

ただ日々与えられた期待に応える如く、

義務と責任を果たさなければならない事態に追い込まれます。


いい加減をすることは、

家族の一員から離脱する意味になります。


許されるわけもなく(というか教育されることもなく)、

罪悪や嫌悪の対象になっていたと考えられます。


その行為に子どもは見捨てられる不安を持つので、

補償行為に精を出さずにはいられなくなります。


サロンで出会ってきた「いい加減をする」を学習しなかった人たちは、

このような家庭にお育ちになっている人ばかりでした。


坂道を転がるように必然と言えなくもありません。


ブログを読んでいるあなたはどうですか?

加減をすることを罪として見てしまうほうですか?


「いい加減(いい意味でないイントネーション)な人のすること」と、

意味づけてませんか?

それで疲弊していませんか?

疲労困憊で苛立ちが募り家族に八つ当たってませんか?

苦悩してませんか?


それは過ちです。

ブレーキのきかない自転車に乗っているようなものですよ。


それ直せます、調教できます。


今までの常識や解釈をこれからの毎日で超越していきませんか?




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