心のメモ帳にようこそ。
このブログが皆様のお役に立てますように。
加減を知らなかったことで、
生きづらくなっていた人はたくさんいます。
「正しい」「これはいい」と思っていたものによって、
自他を傷つけているものがあるってぜひ知ってください。
記憶を辿ると、
教鞭というすがたの強弁で、
義務と責任を背負って疲弊している姿こそが、
生きる真の姿だとメッセージを送られてます。
そのような親の姿が強く印象的に残っていて、
社会・目上の者・生きることに畏怖していた経緯が見つかります。
では、
こういうときの親側の立場は、
どのような心理状態になっているか掘り下げてみます。
誇大化。
歪んだ自己愛が先導します。
内なる劣等感を相殺する意味で使われます。
大きな重圧の下で身動きができなくなっている深層心理を救うため。
沽券に関わる場合は、
異常なまでに責任を果たしている自己イメージに執着することがあります。
楽しいはずの会食や家族団らんが、
こういう立場の人の強弁時間に使われていることしばしばです。
さらに誤解が誤解に結びついてより盲目になっていきます。
労力であれ時間であれ、
たとえ相手が弱者の子どもであっても一方的な搾取が当たり前になっていき、
最終的にはバランス回復の手段に起用されて常習化されます。
これが管理していると錯覚を起こしていくシステムです。
しかしこれは立派な行動嗜癖であって、共依存のアディクションです。
また、見方を変えれば暴力です。
残念なことに、
義務と責任を果たしているという大義を盾にとって正当化してしまうのですね。
真実を隠してしまいます。
これは管理ではありません。
癒着と対人依存です。
管理した気になってはいけないのですね。
生きづらさを抱えた子が成人して恋愛や結婚をするも、
人づきあいがどうしてもうまくいかない理由は、
親から家庭運営の在り方を丸ごと吸収して実行しているからです。
未来に待ち受けているのは、
自己愛性過多です。
膨れ上がった歪んだ自己愛性が通用しない局面が随所に訪れますので、
あの絶望感が待っています。
皮肉なことに、
自分が正しいと思っていたやり方によって、
家族を相手に戦場を繰り広げるような事態に結びつきます。
物事に対して「いい加減をする学習」がとん挫したことによって、
まさかこのような結果が待っているとはなかなか思いつかないはずです。
説明は以上です。
善は急げです。
加減をする・甘えを許す体験は、
『人とは何か』をもう一度知って、
個性を活かして生きるための基礎的な学習です。
その体験は、
自分とはまったく違う他者を理解するちからに結びつき、
個人を活かした協力体制を可能にします。
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