心のメモ帳にようこそ。
このブログが皆様のお役に立てますように。
時代、慣習、常識は、
どの国に生まれたとしても私たちの外側に存在します。
その時々の有力な情報がわたしたちの暮らしの指針になります。
子どもではそこから逃れることは難しく、
それに適応していかなければならないとなるのが普通です。
外側に大きな力を持つ枠組みがあれば、
そこに従わなければいけないとなるのが規範依存性です。
そこに否応なく浸かっていきますし、
また疑問に思ったとしても、
その外側もみな同様にしていれば、
疑問のほうが問題に映ります。
こうした心理作用のなかで規範依存性は定着していくと考えられます。
異論も出てくることはあれど、
力で抑圧される可能性のほうが高いです。
大多数が正解という理論がどこかで成り立っていますから。
目に見えない働きかけに対し、
自然と働きかける意欲も断たれて消極的に馴染んでいくようになります。
そとから与えられる・来る・待つというスタンスです。
外の枠組みに従っていくことこそが安全という意識が高まって、
自ら積極的に何かをしたり、開発していく自律性が薄れていきます。
そして、そこに疑問も持たなくなります。
主体はいつだって規範です。
規範に従ってことを済ますことが重大化します。
規範がすべてですから、
そこから外れれば死活問題です。
こうした心理が前提にあって、
罪悪感や羞恥心が異様に膨らんでいきます。
罪や恥を少しでもなくすための補償行為、
いわゆる罪滅ぼしの行為へと向かいます。
どんなに努力したとしても、
心理上は罪滅ぼしです。
あまり気持ちのいいものではありませんね。
表向きは立場を補うために一生懸命に行為に及びます。
場の空気を読み、その空気に合わせる振る舞いに傾倒します。
これが強迫観念や加減を知らない努力になってます。
しかし心の奥深いところでは、
その事態に対して嫌悪感を募らせていきます。
本心が思う生き方や夢が内側で膨らむ一方で、
現実ではその真逆が起こっています。
不自由さや息苦しさ、
心理的葛藤を抱えつつ同時に心の奥深くでは理想への渇望と、
自己愛が不適切に勢いを増し自己愛性過多になります。
自分に対する周りの対応一つに一喜一憂し、
他者が自分を攻撃しているようにさえ映り、
それが自己喪失や自己崩壊の危機となって表れてきます。
心理的絶望感となって心を打ち砕いていきます。
太線だけをピックアップすると以下になります。
消極性 → 規範依存性 → 劣等・罪悪や羞恥 → 補償行為 → 強迫性 → 自己愛性過多
→ 絶望感
こうした心の働きかけや結びつきには、
浸かっているほどなかなか気づきにくいものです。
こうしたアイデンティティー形成が土台があって、
優劣、勝敗、損得、上下、主従、名誉と恥という物差しが置けなくなります。
加減ができなかった、
もしくは加減を許さなかったという事態ですね。
しかし、
人生では幾度もチャンスを与えてくれてます。
「これまで」と「これから」のために、
危機という体験を通して乗り越える機会を与えてくれます。
これを見逃さないで欲しいです。
不調や病気は自分を知り、
改めて自分を活かす生き方へシフトするためのギフトです。
そんな視点を持ってください。
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