今日は年末最後のブログになります。
共依存病理については、
あとちょっとだけ時間をください。
なので区切りの良いところで切り替えたいので、
今日は、
実践者のわたしから意識の区別についてお話をしたいと思います。
昨日のブログに自己変革とは、
自ら己を律していくこととお話ししましたよね。
わたしたちが当たり前に使っている言葉ですが、
その一つ一つに深い背景があるのをご存知でしょうか?
古い思想から、
一部の言葉だけがピックアップされて使用されているので、
背景を知らずに一般社会で使うと、
?????となってることってけっこうあります。
ヨガテクニック、
アーユルヴェーダテクニックと思って、
活用して頂けたら幸いと思い載せます。
現在は第七チャクラの『自意識』という内容になってます。
意識の中心に据え置かれている主がいくつかあります。
・自分
・自己
・自我
三つに分かれてます。
それぞれ意味合いが違います。
一般社会でこの分け方を意識している人はごくわずかです。
東洋思想では、
精神を開発する目的で人間改造・人間回復に挑んでいく学びですから、
分けたほうが扱いやすくなります。
『自分』とは、
最も崇高な存在で感情や思考をバランスよく掌握している意識です。
東洋思想の特徴は、
人間の外側に超越的なハイパワーなる存在があって、
それがありがたいことに分化し、
人間の中に分け与えられて存在すると考える思想が定義にあります。
(信じなくていいです。ただそういうものだと認知してください)
自ら分かれるで『自分』と漢字が当てられたのだと思います。
同様の意味で『吾』『大我』『真我』があります。
『自我』とは、
子どもの頃から意識の中心にかならず現れる存在です。
エゴともいいます。
同様の意味で『己』『小我』があります。
例えば、
①己に屈した。
②侍魂に火をつけろ。
③吾に返る。
とかって聞いたことありませんか?
それぞれを別表記すると、
①自我に引きずり落とされた
②自分を取り戻せ
③自分に戻る
です。
自我・己 < 自分・吾
という位置づけ。
忘我の境地とは自我・己が放下された事態を指します。
最後に『自己』とは、
自我(己)が自分を受け入れ調教している状態と思ってください。
チーム体制です。
自己鍛錬、自己修養、自己研鑚、自己変革とか色々ありますね。
我を越えて自性に辿り着くためにあるのが修行です。
ヨガであれ、
アーユルヴェーダであれ、
辿り着きたいのは自性での豊かな暮らしです。
時代とともに薄れてしまう情報を大事にしたいなぁというのが本音です。
そうそうこれも載せておきましょう。
「ありのまま」は、
自我がガッツリ入り込んでいる状態のこと。
毎日のわたしたち自身です。
「あるがまま」は、
忘我で自分そのものに成っている状態のこと。
こちらはとても高次元なのがおわかりでしょうか。
自然体・自然心は、
『自分』が最も高まっていて整備された体と心の名称です。
ソファでダラッとリラックスしている感じを連想してましたか?
ということで、
目指せ自分!
自性を頼りに明るく楽しい希望を持って、
暮らし方を工夫してみてください。
毎日コツコツが最良です。
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