幼児期の課題の続きです。
ちょっと前にかじりましたが、
『怒りの扱い方』『懺悔と感謝』の課題です。
乳児の怒りと幼児の怒りは、
人生における原初的なもの。素。
生理的なものですから、
この時期の怒りと恐怖は、
意思のちからでコントロールできるものではありません。
どうしたって出てくる怒りを、
どのように自己表現につなげたらよいのか学ばないといけません。
怒りの学習は、自己主張の芽ですから、
ここで学習したものが個性そのものにつながります。
ですから非常に重要です。
そもそも怒りというのは、欲求不満の感情です。
欲求が満たされないことに対する生理的反応ですから、
①自分が欲求を表現して、
②それがどのような場面で、
③自他の安全と尊厳の確保が行われながら
④どのように相手によって満たされていくのか
という体験が必要になっていきます。
幼児期は、
ちょうど『ヤダヤダ病』が始まってきます。
駄々っ子そのものが①の欲求の表現です。
この時期のヤダヤダ病は、
幼児性万能感が入り込んで、
自分が世界の中心であると思ってますから(これは健全要素ですよ)、
自己主張も強めとなって遠慮なく出てきます。
自分の欲求の主張(①)に対して、
相手の出方(②③)を試しています。
そのときに、
親が子どもの要求に対して、
全部を満たすというものではありません。
言いなりになれというものでは、
けしてありませんから誤解のないように。
受け止める側は、
子どもの欲求に焦点を当てるようにし、
応えるときもあれば、
ときには『困ったね…』と対処し、
出来ること・出来ないことがあることを子どもに教えていきます。
ひとつは、
怒りを出す表現の中から、
子どもは強く出し過ぎて、
相手を滅ぼしてはいけないと恐怖を感じる体験をします。
ここで子ども自ら強弱の技術を学びます。
もうひとつは、
子ども側の要求に焦点を当てながら対処されることで、
『自分の尊厳は守られている』という感覚になり、
子どもの怒りが静まる学びです。
下線を引きましたが、
あくまでも、
怒りの元になった子どもの欲求に、
優先的に焦点が当たっていることが学習をスムーズにする鍵です。
そうでない場合とは、
親側の要求が優先的(忙しいとか、こうあって欲しいなど)になることです。
それは栄養のないミルク、
もしくは毒入りとなるので、
③はすでに機能不全となります。
大人になっても、
怒りの表現が過剰傾向で、
相手を圧倒して欲求を叶えようとする人や、
逆に、
相手を怒りで滅ぼす恐怖を感じてしまい、
欲求を押し殺してしまうような人は、
怒りの扱い方について未学習と考えたほうがいいです。
☆湘南茅ケ崎Salon Hanamizukiホームページ☆
☆オンラインであなたのプライベートタイムが広がります☆
Skype・LINE
心理カウンセリングやプライベートヨガで彩のある生活を実現しませんか?
90分6000円で承っております。
個人アカウントが必要です。