原因になる「境界性」と「自己愛性」の問題を見て来ました。
今日は「自己愛性」にだけ焦点を当ててみますね。
クライアントさんから「自分を愛するってわかりません」って言葉が、
数多く寄せられます。
確かに「私が私を愛する」って難しく感じる人もいるんです。
過剰なプライドを持った場合とは、
7段階に当てはめると、
①心理的孤立感と恐怖心が沢山ある
↓
②幼児的な万能感に依って成り立たせる(歪んだ自尊心)
↓
③過大評価をする
↓
④歪んだ自己愛(偏愛)、未熟な自己愛(溺愛を望む)
↓
⑤誇示表現、問題行動で人を巻き込む
↓
⑥他責で自分に問題はないとする
↓
⑦高い評価に値する特別な存在だ(自意識過剰)
まず知って欲しいのは、
自己愛が上手くいっていないと、
意識の使い方が、
自己誇大化か自己卑下のどちらかになっていきます。
対極を行ったり来たりしているような感じですね。
定まらないの。
言い換えると、
「自信のなさ」と「誇大化」の両極で、
右往左往してしている混乱状態です。
統合がなされてない分裂気質の状態なのね。
人格統合の7段階の中で、
自己愛は④番目に位置づけしてます。
なるべく①から③までを必ず入れた上で、
考慮して欲しいと思っています。
(改善のステップ)
①孤立していると思い込まないこと
②不完全な自分も丸ごと自分で受容
③やれていることもやれないことも沢山ある自分を認める
④自分らしい成長を楽しみに見守っていく思いやり
⑤誇示表現や虚偽など必要としない
⑥今ここの訓練に責任を持ってチャレンジしていく
⑦いつでもどこでも自分らしい自分でいる手応えを得る(これでイイと肯定できる)
Gool→自分らしさのままで人と関係していける。
(境界性)他者にむやみやたらと癒着せず、対等に向き合え適切な関係が作れる
(自己愛性)過剰な承認欲求も、特別扱いも他者に求める必要がなく、
自分で自分を支えてあげられるようになっていく
自分で自分を愛する感覚って、
言葉で簡単に説明するのが難しい。
こんな感じになってしまった(すみません)。
子どものケースは、
このステップの誘導を近親者が担ってくれるのが望ましいのよ。
だんだんと親の手を離れて、
自分で出来るようになっていく訓練が始まります。
例えば学校や塾などの場で、
自分で自分を支える訓練を必要とする場が沢山与えられます。
試験なんてのはわかりやすいですね。
日常生活だとお手伝いとか。
自分で自分を支えて、
愛する力を手にすることになります。
上手に出来る出来ないよりも、
ぶきっちょでもやれてるとか、
挑戦している自分の姿に、
ずっと目を注いで大切に援助していくって感じかしらね。
親が良いお手本だといいのですが、、、、。
心配と言う名の監視・支配でがんじがらめ(←過干渉)も問題。
ネグレクト、虐待では愛し方なんて見当もつかない。
また甘やかしも問題(←これは溺愛)。
過保護で物質的には満足かもしれないですけど、
親の価値観を押し売りされても、
やはり健全な自己愛は育ちません。
本来自分が持っている「愛らしい自己イメージ」と、
相手を鏡にして認識する「愛らしい自己」のイメージが、
上手く合致していると健全になりやすい。
調整が効くような関係だと手堅いですね。
ドジってもドンマイ。これ大事。
それもまた一つの自己イメージとして受容できれば、
むしろ分を知るいい機会になります。
サポートが機能している家庭では不満が少ないから、
罪悪感に呑みこまれることが一時的にはあっても、
回復が早い人になります。(←愛着の安定型そのもの)
しかし、
これが双方ともに偏っていると問題が起きます。
「イメージ」が独り歩きしてしまう。
親なり子なりのイメージが独り歩きしていて、
どっちにしても欲求不満が起こってます。
それがきっかけになって、
意識の使い方を間違えていくのだと思います。
完全・完璧主義の強要なんてのは毒の代表ですね。
ゆえに偏愛なんてのに、
自然と向かってしまうのだろうと思います。
自分を大切にしたい思いは誰だってあります。
その思い(心)が偏っているために、
頭の使い方までが偏って、
一人で解決できずに、
他者を巻き込まなければ解消できない行動になるのだろうと思います。
大人のケースになると、
自分で自分を調整しながら自己イメージを作る必要があります。
私が私を愛するとき、
加減をするためには、
結局、自分の能力に頼るほかないんですよね。
サロンで長期に渡ってクライアントさんと関係を持っていると、
色んな事が題材になって、愛着の再形成が可能になってます。
他愛ない話の中で加減を知っていくのだろうと思います。
と言うか、調整する楽しさを持ってくれています。
相談をしてくださるクライアントさんは、
人を傷つけてまで、
自分だけ良ければいいなんてことには、
心の深奥で不快感を感じています。
だから生来持っている純真無垢な「優しさ」を、
気づいてガツッと汲み上げることなんじゃないかしら。
「一緒に居たい」とか、
「上手く仲良く出来たらいいのになぁ」とか、
「ヘンテコしても許してくれるかなぁ」とか、
そんな生来持つ人間の優しさや温かさを、
素直に認めてガツッと自覚して、
過剰な不安をつくらないようにすることなんじゃないかと思うのです。
私が私を愛するとき、
「一人ぽっちはイヤなんだよね」とか、
「ぶきっちょでもいいもんね」とか、
「へたっぴでもいいもんね」とか、
「ここまでやれてれば、今は上等上等!」とか、
完全完璧主義ではない、不完全な自分を大事にしていいことを、
毎度許可するような気持ちで、
思いやりを自分に注いであげたら、
イイのかなぁと思います。
優しい親心がいつも一緒に在るような、
感覚と習慣を植えつけていくのがいいんじゃないかと思うのです。
(愛着再形成のレッスンです)
一旦言葉とともに優しい親心を感じて、
不完全を丸ごと受容したら、
「ここから、さてどうする!?」って、
自分の向上を楽しめるプロジェクトを立ち上げて、
伸びしろを楽しんだらいいんじゃないかと思うのです。
いかかでしょうか(*'ω'*)
写真 olfiika
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