2018年3月22日木曜日

人の意見を絶対認めない行動

あったこともなかったことにする。

白いものを黒いものにする。

けして白と認めるようなことはしない。


今日は、

必ず人の意見を否定する。

相方の意見すら絶対認めないのは、なぜでしょうか!?


答えは、敗北を絶対に味わいたくないからです。


回避している理由は、

実像しない自分像の崩壊を免れるためと、

臆病の露呈をさけるためです。


実像しない自分像とは、

「万能な自分」

「有能な自分」

「間違っていない自分」

「特別扱いされて当然な自分」

です。

・・・・・・・・。


巻き込まれた人は、

相手の問題行動の背景を知って、

恐がらずに対処することです。


ひどい仕打ちを受けた場合は、

相手を「ゆるす」ということが決して簡単ではないから、

少し時間と手間がかかります。


やった側は簡単に忘れる。

大したことでもないと思ってやり続ける。

ただ自分を守るためだけに。

でも、

やられた側は、一生消えないこともある。

ただ、

少しでも忘れるほうへと心を使って欲しいと願ってます。

嫌な人を心と頭の中に置いておくほうが辛いと思うから。


そんな気持ちで読んでください。

過去に遡ってその人の親子関係を、

知る必要が出てきます。


子どものときに、

親の損得勘定や感情的態度を、

嫌というほど味あわされている人に多いです。

また、ちやほやされて育った場合より、

過干渉や期待を掛けられたり、

追いつめられた人のほうが、

やってしまう確率は高くなります。

肯定より否定的な扱いを多分に味わっている人のほうが、

やってます。


その昔、

親から感情論をぶつけられた経験の下で、

事もあろうか幼い子どものほうが、

感情を脇に置いて、

合理的思考判断で対処してきた背景があります。

相手の意見を呑まざる得ない経験を多々しています。


必死に理性的であろうとし、

自分の感情に蓋をしてきた習慣があるんですね。

しかしその内面はとても複雑で、

そこで歪んだ自己愛が生まれ、

他人は支配しておくべきだと、

大人になっていくうちに、感情論に変わっているんですね。


その結果、

大人になったとき、

別意見や、

意見の変更を求めたれたときや、

習慣を覆すようなアドバイスを言われたときは、

過去にフラッシュバックして、恐怖心が急激に襲います。

不安が強烈な爆発力に転換し、

衝動や怒りを抑えられません。

知性が高いながらも、

感情には適わない。

境界性と自己愛性の問題が起こすことです。

今度は自分が、プライドにかけて負けるわけにはいかない。

だから絶対認めようとはしません。

それで白を黒にしていきます。


初対面やしばらくの間は、

頭のいい人という印象が多いです。

しかし、

関わりが進んでいくと、この傾向が顕著に現れます。


理性的であろうとする行動が、

良く視れば、

感情論なんですよ・・・・・。


相手のアイデアをつぶす案、

批判するだけ、

陰湿な隠ぺい行為、

あげ足取り、

問題のすり替え行為、

人の感情をもてあそぶ言動、

振り回しなどを次々とやっていきます。

けして、他人の意見を認めるようなことはしません。


虐げられてきた経験時、、

誰よりも感情的行動を避けて利口に振る舞ってきたのに、

自分が一番感情的に、

物事を運ぶようになってしまったってわけ。

不安と恐怖に心が囚われたとき、

頭は越えてはいけない手段へと繋がり、

踏み込んでしまうのだろうと思います。

被害者が加害者側になっていく。

複雑ですね、人間の心と頭って。


加害者側の言い分でよく耳にするのが『怒りたくないんです』。

口にしたところで自分で責任を取るしかない。

自分の行動なんだから。

自分の頭が判断したんだから。

自分が選択したんだから。

他人に怒らなくて済むように協力してくれと思っているなら、

自分中心で事を解釈している自分勝手な自分に、

早く気づくことをおススメしますね。

幼児期の「怒りの学習」の勉強に再度着手しましょう。

本当のプライドにかけて取り組んでください。


人の意見を絶対認めない行動と直面したときは、

まるで子どものように、

私(僕)を誰よりも尊重してと行動していると冷静に見ること。

ガチにぶつかっていっても、らちが明かない。


存在が揺らぐ可能性があるから、

恐くて他人を認めようとしないのだから、

ここは不安を作らない工夫をします。


で、まだ話し合いの余地がある人の場合、

おすすめな対策。

自分を攻撃してるだけだって思うと、絶対拒否したくなるんですよね。(←命根があるから)

でも彼らの必死な行動をよく観察していると、

過去の忌まわしい記憶と、

現在のやるせない稚拙な依存行動のふたつを、

同時に消し去ろうとしている行動と視てあげるんです。

そっちに切り替えて視てください。(←受け流しの術)


一度、相手の意見を「一理ある」と譲歩する形をとるほうが賢明だったりします。

次に「どこに問題があるのか」と問い返してみる。

当然それは、一旦自分が劣勢の状況のように魅せる覚悟の上です。

これは心理作戦です。

表面上は劣勢に見えますが、

精神性で経緯を観れば、

相手と同じ目線や土俵に乗らずにいる技術です。


たまに、相手目線のありがたいアドバイスや

思い掛けない意見が出てくる時もあるわよ。


それでも、完全に意見交換もできず、

ただ否定をするようなら、

諦めるに限ります。

残念ですが。

支配&主従関係以外は何も望んでいないんだなと、

そこではっきり自覚しましょう。

真面に向き合うことそのものを考えるより、

脱出を考える方がいいです。


義務や罪悪に囚われて冷静さを失うより、

幸せを選択するほうを考えたほうがイイですよ。

人生はテリトリー争いじゃないから。

人の心の複雑さを理解した貴方は、

笑顔で貴方の意見を包んでくれる人に、

未来で出会えます♡

こころの景色そのままの人が、

未来に現れます。

だから心をきれいにしといてください(^^ゞ



(つぶやき)

諦観とは、明らかにした物の見方と言うことですから、

相手との関係を「人間を知る学習だ」と思ってください。










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