白いものを黒いものにする。
けして白と認めるようなことはしない。
今日は、
必ず人の意見を否定する。
相方の意見すら絶対認めないのは、なぜでしょうか!?
答えは、敗北を絶対に味わいたくないからです。
回避している理由は、
実像しない自分像の崩壊を免れるためと、
臆病の露呈をさけるためです。
実像しない自分像とは、
「万能な自分」
「有能な自分」
「間違っていない自分」
「特別扱いされて当然な自分」
です。
・・・・・・・・。
巻き込まれた人は、
相手の問題行動の背景を知って、
恐がらずに対処することです。
ひどい仕打ちを受けた場合は、
相手を「ゆるす」ということが決して簡単ではないから、
少し時間と手間がかかります。
やった側は簡単に忘れる。
大したことでもないと思ってやり続ける。
ただ自分を守るためだけに。
でも、
やられた側は、一生消えないこともある。
ただ、
少しでも忘れるほうへと心を使って欲しいと願ってます。
嫌な人を心と頭の中に置いておくほうが辛いと思うから。
そんな気持ちで読んでください。
過去に遡ってその人の親子関係を、
知る必要が出てきます。
子どものときに、
親の損得勘定や感情的態度を、
嫌というほど味あわされている人に多いです。
また、ちやほやされて育った場合より、
過干渉や期待を掛けられたり、
追いつめられた人のほうが、
やってしまう確率は高くなります。
肯定より否定的な扱いを多分に味わっている人のほうが、
やってます。
その昔、
親から感情論をぶつけられた経験の下で、
事もあろうか幼い子どものほうが、
感情を脇に置いて、
合理的思考判断で対処してきた背景があります。
相手の意見を呑まざる得ない経験を多々しています。
必死に理性的であろうとし、
自分の感情に蓋をしてきた習慣があるんですね。
しかしその内面はとても複雑で、
そこで歪んだ自己愛が生まれ、
他人は支配しておくべきだと、
大人になっていくうちに、感情論に変わっているんですね。
その結果、
大人になったとき、
別意見や、
意見の変更を求めたれたときや、
習慣を覆すようなアドバイスを言われたときは、
過去にフラッシュバックして、恐怖心が急激に襲います。
不安が強烈な爆発力に転換し、
衝動や怒りを抑えられません。
知性が高いながらも、
感情には適わない。
境界性と自己愛性の問題が起こすことです。
今度は自分が、プライドにかけて負けるわけにはいかない。
だから絶対認めようとはしません。
それで白を黒にしていきます。
初対面やしばらくの間は、
頭のいい人という印象が多いです。
しかし、
関わりが進んでいくと、この傾向が顕著に現れます。
理性的であろうとする行動が、
良く視れば、
感情論なんですよ・・・・・。
相手のアイデアをつぶす案、
批判するだけ、
陰湿な隠ぺい行為、
あげ足取り、
問題のすり替え行為、
人の感情をもてあそぶ言動、
振り回しなどを次々とやっていきます。
けして、他人の意見を認めるようなことはしません。
虐げられてきた経験時、、
誰よりも感情的行動を避けて利口に振る舞ってきたのに、
自分が一番感情的に、
物事を運ぶようになってしまったってわけ。
不安と恐怖に心が囚われたとき、
頭は越えてはいけない手段へと繋がり、
踏み込んでしまうのだろうと思います。
被害者が加害者側になっていく。
複雑ですね、人間の心と頭って。
加害者側の言い分でよく耳にするのが『怒りたくないんです』。
口にしたところで自分で責任を取るしかない。
自分の行動なんだから。
自分の頭が判断したんだから。
自分が選択したんだから。
他人に怒らなくて済むように協力してくれと思っているなら、
自分中心で事を解釈している自分勝手な自分に、
早く気づくことをおススメしますね。
幼児期の「怒りの学習」の勉強に再度着手しましょう。
本当のプライドにかけて取り組んでください。
人の意見を絶対認めない行動と直面したときは、
まるで子どものように、
私(僕)を誰よりも尊重してと行動していると冷静に見ること。
ガチにぶつかっていっても、らちが明かない。
存在が揺らぐ可能性があるから、
恐くて他人を認めようとしないのだから、
ここは不安を作らない工夫をします。
で、まだ話し合いの余地がある人の場合、
おすすめな対策。
自分を攻撃してるだけだって思うと、絶対拒否したくなるんですよね。(←命根があるから)
でも彼らの必死な行動をよく観察していると、
過去の忌まわしい記憶と、
現在のやるせない稚拙な依存行動のふたつを、
同時に消し去ろうとしている行動と視てあげるんです。
そっちに切り替えて視てください。(←受け流しの術)
一度、相手の意見を「一理ある」と譲歩する形をとるほうが賢明だったりします。
次に「どこに問題があるのか」と問い返してみる。
当然それは、一旦自分が劣勢の状況のように魅せる覚悟の上です。
これは心理作戦です。
表面上は劣勢に見えますが、
精神性で経緯を観れば、
相手と同じ目線や土俵に乗らずにいる技術です。
たまに、相手目線のありがたいアドバイスや
思い掛けない意見が出てくる時もあるわよ。
それでも、完全に意見交換もできず、
ただ否定をするようなら、
諦めるに限ります。
残念ですが。
支配&主従関係以外は何も望んでいないんだなと、
そこではっきり自覚しましょう。
真面に向き合うことそのものを考えるより、
脱出を考える方がいいです。
義務や罪悪に囚われて冷静さを失うより、
幸せを選択するほうを考えたほうがイイですよ。
人生はテリトリー争いじゃないから。
人の心の複雑さを理解した貴方は、
笑顔で貴方の意見を包んでくれる人に、
未来で出会えます♡
こころの景色そのままの人が、
未来に現れます。
だから心をきれいにしといてください(^^ゞ
(つぶやき)
諦観とは、明らかにした物の見方と言うことですから、
相手との関係を「人間を知る学習だ」と思ってください。
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