自体愛。
容姿への拘り。
新しい言葉が出てきましたね。
理想の姿。
アイデンティティーを育んでいく際、
「あんな風に自分もなりたい」と、
近づいて行こうとすることで向上心が培っていけます。
けして悪いことではありませんよね。
ブログの問題は、
執着するあまり現実の自分が疎かになってしまうことが、
望ましくないというわけです。
「○○でないと認めてもらえない」という考えが問題なのですね。
今日のお話しは、
調整が効かないように心理が働いてしまっている状態のことです。
人間の脳は、見たいように加工していきます。
鏡の前に立った自分を理想の姿に加工して見てしまうのですね。
スポーツ嗜癖というのは、そのわかりやすい例です。
「この状態でまだ行くのですか?」という質問に対して、
従うことはありません。
ご本人の意思で向かいます。
「やってるほうが気持ちいいから」ということばが、
ご本人を突き動かしています。
深奥で、
ジムに通ってないと怖い、
お休みするのが怖い、
ジム仲間と合う約束をしているのでいかないわけにはいかない、
行かねばならないという強迫観念がありますが、
ご本人はそれを意識したくないのです。
劣等立場に置かれることを避けるために、
やめるわけにいかないというのが本音です。
まわりに指摘をされるとたいてい不機嫌になります。
放っといてくれとばかりに。
ここが強迫症状をよく表しています。
我が強いと自分を持っているはよく似てますが、
強迫症状から突き動いた行為には、
後でその報いを受ける如く疲労が蓄積されてご本人を襲います。
そのときに出てくるのが『甘えの心理』です。
言わなくても察してもらいたい、
言わなくても代わってやってもらいたい、
そうでなければ不機嫌という態度になって現れてきます。
強迫症状でなければ、
エネルギーの使い方を調整できるものです。
早々不機嫌にはなりませんから。
真面目で義務感の強さを、
もっと柔軟で調和しやすい方向性に向けてコントロールできれば、
その人の良さはグッとあがります。
何も力がないわけではありません。
力の矛先を変えればいいだけですよ。
現実の中には、
理想と違って気に入らない自分がかならず在ります。
でも、それを受け入れてこその自己実現の道です。
執着が薄れたとき、
心は自然と自分らしいほうへと発達していきます。
そこにあるのが『本当のあるべき姿』ではないでしょうか?
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