2024年11月21日木曜日

自己満足を知らないとどうなるのか①

 心のメモ帳にようこそ。

このブログが皆様のお役に立てますように。


自己満足の活用を知らない編です。


他者が見て、

出来ている・完全であるように振舞わなければいけない。

という規範があるとします。


子どものころから、

親や周りがいいという状態をキープすることが大事と思ってます。


では、足らぬものをどうしようとするのか?


自己愛(肯定がある)か、

それとも歪な自己愛(否定的である)かで差が生じます。


今回説明するのは後者です。


後者であれば、

不完全、欠点、失態、不得意がある等身大の自己は受け入れがたいものです。

ちょっと斜に構えたり片目を瞑ってしまうように意識が働きます。


不具合や不完全なところなどないという意味に結びつけるかもしれません。

罪や恥という心理作用が強く働くような対処なるだろうと思います。


つまり、

この時点で歪んだレンズを通して視るような事態になってます。


結果、次の一手で扱い方を誤るのですね。


たとえ足らしたとしてもどこか歪な影を残します。


誇大したり、否認したり、

卑下したのちに他者に庇い建てしてもらおうとするかもしれません。

その結果、

適切にパーソナル育成したとはちょっと言い難い事態に向かいます。


振舞ったというほうが合っているかもしれません。


心理学上では、

自我防衛機制の成り済ましやすり替え、

疑似成長などという説明が当てはまっているかと思います。


表向きは他者が喜ぶのでウキウキかもしれませんが、

どこか揺らぎやすいのです(人によって受け方が違うから)。


都合よくいいよと言ってくれる人達のなかに、

身を置きたくなるだろうと思います。

(他者依存が発生しています)


こうした表向きの心理の影で、

不都合なものは排除したくなるという敵愾心も大きく育ちます。


他者がいいといったのでいいと思った。

そのようなとらえ方が有効になりやすい。


ちょっと心もとない、(←注目)

足場が固まってない、

泥濘がうっすら漂うような感触を払拭して、

事を修める習慣が現れます。


こうした内なる不満に目を向けることなく、

社会承認を得る自分になれば、

いつかきっと曇りや苦痛など何一つないところにたどり着くのだろうと紐づけます。


言い換えると、

自己満足は必要ない。

社会が『いい』という人になれば、

いつかかならず人生充足するだろうと考えついたとしてもおかしくありません。


続きます。




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