まず、
怒られることはしていない自分は、「完全・完璧な自分」となります。
特別な存在で、万能な自分となります。
後に、称賛や過大評価、特別な贔屓や羨望が欲しくなる。
けれど、これが手に入らないから生きづらいのですね。
愛情飢餓の体験と、否認・拒否・見捨てられ体験が、
このように月日をかけ、形を変えて性格として定着していくのです。
また、万能な誇大化自己を、他者に指摘され崩されることは、
自分が無くなるに等しいこと。
「偽りの自分」を引きはがされることと同じですのでね。
これも生きづらさに加担しています。
怒りの未学習が、誇大化した自己をつくり、不適切な自己愛をつくります。
傷つきやすく、脆いプライドで、
自分らしい人生を悠々と歩むことが、さて出来るのでしょうか。
支離滅裂な現実処理能力でその場しのぎの繰り返し。
現実検討能力が伴わないようでは、
多くの人を傷つけ、愛情関係とは程遠いい、
権力と支配力の中でしか、人と関わり合えない殺風景な人生を、
歩むことになります。
自己愛性パーソナリテイ傾向の人は、
人一倍評価が気になるために、
取り巻きを必要としていきます。
しかし、あくまでも賞賛が与えられることを目的としているため、
賞賛が得られなければ、簡単に破たんする繋がりです。
身の置き場が幾つになっても作れないことも特徴です。
金品による取引関係で、つなぎ留めたり、
利害なく安心した拠り所もなく、生き続けることになるのです。
沢山の複雑な心理を抱えたままの状態で、
深いかかわりになった場合に、これがとんでもない問題行動へと繋がります。
これは明日。
自分の問題にきちんと向き合うことが必要ですね(*'ω'*)
自分の弱さや幼さは、要所要所で拒否することなく、
修正をしていけば、自然と健全な自己愛が形成されるってことなのです。
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