主観的要因とは、
客体の印象に囚われることなく、
情報を一旦主体の認知や見解に布置することです。
広大な心的エネルギーを客体を通して誘発し、
独自の認識力を発揮させます。
それほどに恐れることでもない。
むしろ、
客体の印象に囚われ、
客観的要因を過大評価したり、
絶対模倣主義に陥るほうが、
問題を起こすようにも思います。
レールを引いてもらって、
ただその上を歩くことだけでイイという人ばかりならば、
それもいいのかもしれませんが。
それはどこか、人間の高次性を信頼していないとも言えなくもない。
内向性の優勢を、
合理的ではない。
社会に適応していない。
と、安易に判断してしまうのは、
どこか判断をする側が、
意識の仕組みを知らない無頓着な状態や、
人間に備わる元来の心的エネルギーの存在への無理解が、
あるのではないかなぁと思います。
内向性のもつ独特な人間愛や自然愛、
壮大なスケールを知って、
隔たりを大きくしないようにしてあげられるといいですね。
生き方は一つじゃない。
人をもっと大きな視野で観てあげる工夫を、
大人が持つことなのかもしれません。
信頼を心配に変えてしまった時、
恐らく人は、
人に多くの条件を叩きつけてくるように思います。
それは個性を奪う力にもなります。
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