僻み(ひがみ)が板についた人と出会ってしまったとき。
巻き込まれてしまったらちょっと覚悟してください。
とても大変です"(-""-)"
疲労困憊する前に、
なるべくなら脱出を図ってください。
今日からは予告しておりました、
心配性からなってしまう僻み根性についてです(*'ω'*)
なぜなら僻みが性格の根にしっかりついてしまった場合は、
本人が気づいてやめる決心をしない限り、
他人は決して変えられないからです。
「僻み」はすべて当事者の心の問題でしかないんですね。
これを私が例えていうならば、
アルミ箔をちょっと思い描いてみてください。
くしゃくしゃにしたものをどんなに綺麗に伸ばしても、
元の通りにならず、
ありのままを反映することが不可能に近いでしょ。
これとよく似ているんです。
物事を自分よがりによじ曲げて、なんでも解釈してしまうのです。
識別の際に歪み生じます。
・他人の良い所ばかりが目につく。
・局所的にしか見れない癖がある。
部分的思考の持ち主なんですね。
これが定着してます。
物事の全体を捉えることが不可能に近く、
ありのままをありのままに受け入れることが難しいんですね。
本人だけがくしゃくしゃのレンズを通して、
物事を見ているようなものだから。
他人とは大きな解釈のズレが生じていきます。
例をあげます。
バラを見てバラならいいんです。
ところが僻みが板につき、ひがみ根性になっている場合、
表面上はバラがあると口にしていても、
内面にある認識は、
→凄くきらびやかなバラがある。
→今までになく美しいバラがある。
→それが鼻について気に入らないとなります。
このように主観での捉え方に著しく偏りが生じていることに、
ご本人だけが気づいていないんですね。
常日頃から他人の長所がやたらと華々しく映る。
その為に比較対象との差を膨大に感じてしまい、
嫉妬に苦しみ、意地悪な気分にすぐさま陥ってしまうんです。
僻みはけして幸せになれるものではありません。
むしろ不幸になるものです。
なぜ僻んでしまうのでしょうか。
掘り下げます。
それは自信がないからです。
敵意を持ってしか向き合えない自分の心を片づけられていないため。
そんな劣等意識が常日頃からまずあります。
「どうせ自分なんて・・・」
「なんで自分はいつも○○なんだ」
自己卑下あります。
自分で自分が不愉快で仕方がない。
その敵意を外へ投射します。
「どうせ貴方は私(僕)のことを○○って思っているんでしょ」と、
あたかもそれが正しいことであるかのように思い込んでいるんですね。
このように僻みは心配性から起きています。
傷つけられる可能性があると信仰している悪癖と知ってください。
他者の言うことには偏見があるため、
耳が貸せません"(-""-)"
さて、貴方が僻み根性の人に巻き込まれていたとしたら、
物凄く疲れていると思います。
その経緯はパターン化してます。
参考にしてください。
相手は最初、社交的でマメな所を見せている。
↓
だんだん意見交換をしようと交流を試みても、なぜか否定する。友好的ではない。
↓
自分の言い方を改善し、交流を図ろうにも何を言っても否定する。
↓
何を言っても肯定することがなくなる。
↓
アドバイスの振りして、人の上げ足を取り始める。
↓
最初はそれにつき合ってみるが際限がなくなって違和感を感じるようになる。
↓
もう何も言わず、笑顔でハイハイと言っておくに限ると切り替えたくなる。
↓
貴方の心は閉ざされる。疲れる。
↓
相手が上目線から物言いをしてることを観察している冷静さがどこかある。
↓
貴方の心は冷え切る。呆れる。
↓
何を言っても、また何も言わなくても不愉快だと非難される。
↓
離れたくなる。理不尽さや危険を感じる。
どうでしょうか。
思い当たる状態なら、
これは貴方に問題があるのではありません。
相手が僻み根性になっている人なだけ。
何を言っても不愉快にしかなりません。
有効なのは嫌みのない「凄いね」なだけ。
嫉妬より僻みのほうがとても扱いずらーいものなんですね。
だから自分の本心をあまり明かさない方がイイです。
何かを言えば歪曲し、
それを誇張して、
あることないことを吹聴しますから。(←これは後日ね)
巻き込まれている人は、
距離を置いていくこと。
また深く関わり合わないことです。
特に離れるときは、
相手に華(優位)を持たせて何も言わないに限ります。
明日に続きます!
写真 gatag.net
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