2018年5月15日火曜日

人様から見た自分でしか生きられない悲劇




他人の脳みそを借りて凌いだところで、

他人の脳はしょせん他人のモノ。

思い通りになるのは束の間です。


それはあくまで自分自身の実力ではないからです。


自分の脳みそに寄って立って価値分析し、

それに沿って組み立てていかないと、

後で後悔するのは必然です。


自己実現を成し遂げたいと思うなら脳機能開発です(^^ゞ

貴方自身の独立した五感に寄って立ち、

自分なりの価値分析を成功させていかないと、

自分らしい生き方の基準は作られていることにはなりません。

人様がよろしいと評価するであろう価値基準に沿って成り立たせた生活は、

人様が嬉しいだけです。


・自分がこれをしていると満足が持続するもの。

・自分がこれをしていると楽しいが持続すること。

・自分が責任を持って取り組める何かがあること。

・他人の割り込みに対し、毅然と独立して継続していけるモノを見つけること。


これらをもとに価値分析しますと、

真に必要なモノを持って、

それなりに納得した生き方がつくられていきます。

結局は五感に頼り、

①自分の生き方に積極的になり、責任を果たす

②生計を立てられるだけの経済力を持つ

③愛する人達と共に喜び合う心を持って交流する

④今世の人生に自分だけの自己価値を持って毎日を過ごす

になりますよね。


自己実現を成し遂げたいと願うなら、

プライドが傷つくなんてことはない。

ドンドン五感を使いたくなるものよ。

必要な分野へと有意義に集中して努力できます。


五感を使わず頭の中でバーチャルだったら、

それは「こういうふうに周りに映っていてほしい自分」でしかないのよね。

砂上の楼閣はそれは美しく立派かもしれない。

でも内観すると自分を無視した暴力に近かったりします。

台無しにする努力や、

遠ざかる努力をしても悲しい・・・・。

本線から遠ざかる選択の連続に近い毎日は悲劇と言わざる得ません。


脳の中にある特性を知った方がイイ。

集団の前に自己犠牲をする快感。

誰かに命令される方が楽である快感。

集団移動することに安住を覚える快感。

本題のすり替えと認知の誤りに気付いた方がイイ。

個人の特性を活かした社会参加は不可能ではありません。


自己実現は「今・ここ」を本分で生きる必要があります。

五感を使い、

今ある実力で、

今を生きることでしか自己発見は叶わない。


だから人様向けの仮想のプライドなんて本当は必要なかったりします。

(人生哲学と社会既成概念はあべこべだったりします)


自己発見の連続で選択し続けることでしか、

自己実現は完遂しないのだろうと思います。

そちらは喜劇という言葉に相応しいと思うのです。





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