2018年5月18日金曜日

僻みは真実を決して反映しない愚行

僻みの恐ろしい所は、

真実を決して反映しないことです。

邪見によって正見が叶わない。


昨日のブログで経緯のパターンをお伝えしましたでしょ。

これは巻き込まれた側の認知よね。

では、僻みの性分が板についた側は、

どのように認知しているのか。

気になりますよね。


私(僕)は正しい。

私(僕)のほうが正論だ。

勝った!


なぜこうなるか僻みの構造をご紹介しますね。(これのほうが気になるでしょ)

まず押さえてください。

彼らはくしゃくしゃのレンズを通して、

他人や外側を見ているだけではありません。

自分自身も見ています。

自己評価がまず出来ていません。


そのため、自分が歪んだ見方をしていることをスルーさせていくのです。

自己基準が一番正しいとの独善独裁排他的になっていることを、

正当化していくしか手段が残ってないのです。

心配性の支配欲が歪ませます。


自分のために、相手の良い所はあってはならないのです。

だから潰しにかかります。

自分のために、相手の言い分を聞いてはならないのです。

自分を変えることに恐怖を感じるから。

自分のために、相手に変わってもらわなければならないのです。

自分が成長することは負けを認めることだから。

変化がことごとく嫌いなのです"(-""-)"


こうして相手との議論をすることなく、

自分を押し付けることで、

耳を貸さなくなります。

敵意による心配性はこうなっちゃうんですね。


「私(僕)は正解(正義)だ。まいったか。」なんです"(-""-)"


巻き込まれた人は、

どうぞ自分を決して責めないでくださいね。

相手のアドバイスは貴方の失脚を望んで、

自分を上げて魅せる行為なだけですから。

むしろ、

貴方の中に僻みたくなるような凄く良い所があって、

それと自分を比べて自己嫌悪に陥り、

どうにも意地悪をしたくなったんだと理解してください。

つまり、貴方が相手のために引っ込めた価値を、

むしろ俄然大事にしてみてください(^^ゞ


僻みによって不愉快な出来事になってしまったときは、

相手に勝つことを考えるのではありません!

僻みの仕組みに克つこと。

自分の長所に気づき、より豊かになっていくこと。

それが僻みの心に打ち克ち、服従させることになります。

克服です(笑)

これが巻き込まれた事実の中にあった真実の教えです。



さて、ここから耳がイタイ話。

巻き込んでいる張本人だったら今すぐやめると宣言してください。

貴方を救えるのは貴方だけです。


相手が退散し勝ったと思っていた出来事の中にある真実は、

「この人と関わっていても無意味だ」です。

戦いに勝ったのではなくて、

この人と関わっても無意味だと放棄されたんです。

誠実の輪の中から外されただけ。


イメージで言うと、

足元に相手が放りだしていった剣や金貨を、

独り占めできたと思っているような感じ。

でも実は、そんなものよりもっと素敵なモノがあっちにあるから、

この剣と金貨は要らないよと、

その場に置いていっただけ。

ほくそ微笑んでいても、周りを見渡せばだれも関心を寄せてはくれていない。

あっちのほうでなんか楽しそうに賑わっているのを、

一人で剣と金貨を抱きかかえて眺めているような感じ。

その状況にやっと気づいて、

また妬み、僻んでいる。


僻みが根の性分に板についてしまった場合は、

失ったものの大きさにまったく気づかずに、

人生を終えることが良くあります。

血の繋がった家族にも疎ましがられ、

死の間際でさえも、

姿がないことさえあります。


このように僻みはいずれ孤立化します。

勝利しているつもりでも、相手は土俵にすら実は上がっていません。

私利私欲によって欲しいものは手に入れられはしますが、

良く観れば失ったもののほうが大きかったりするんです。


僻みは事実の中にある真実をけして反映しません。

愛想をつかされたってことなだけです。


心の中に人を信頼する愛がなかった為に、

愛のない行為をやり続け、

愛を持った人から愛想をつかされる羽目になる。

本人がやめない限り、

人に与えたものは全部自分に帰ってきてしまいます。

どうぞ気をつけてください。






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