真実を決して反映しないことです。
邪見によって正見が叶わない。
昨日のブログで経緯のパターンをお伝えしましたでしょ。
これは巻き込まれた側の認知よね。
では、僻みの性分が板についた側は、
どのように認知しているのか。
気になりますよね。
私(僕)は正しい。
私(僕)のほうが正論だ。
勝った!
なぜこうなるか僻みの構造をご紹介しますね。(これのほうが気になるでしょ)
まず押さえてください。
彼らはくしゃくしゃのレンズを通して、
他人や外側を見ているだけではありません。
自分自身も見ています。
自己評価がまず出来ていません。
そのため、自分が歪んだ見方をしていることをスルーさせていくのです。
自己基準が一番正しいとの独善独裁排他的になっていることを、
正当化していくしか手段が残ってないのです。
心配性の支配欲が歪ませます。
自分のために、相手の良い所はあってはならないのです。
だから潰しにかかります。
自分のために、相手の言い分を聞いてはならないのです。
自分を変えることに恐怖を感じるから。
自分のために、相手に変わってもらわなければならないのです。
自分が成長することは負けを認めることだから。
変化がことごとく嫌いなのです"(-""-)"
こうして相手との議論をすることなく、
自分を押し付けることで、
耳を貸さなくなります。
敵意による心配性はこうなっちゃうんですね。
「私(僕)は正解(正義)だ。まいったか。」なんです"(-""-)"
巻き込まれた人は、
どうぞ自分を決して責めないでくださいね。
相手のアドバイスは貴方の失脚を望んで、
自分を上げて魅せる行為なだけですから。
むしろ、
貴方の中に僻みたくなるような凄く良い所があって、
それと自分を比べて自己嫌悪に陥り、
どうにも意地悪をしたくなったんだと理解してください。
つまり、貴方が相手のために引っ込めた価値を、
むしろ俄然大事にしてみてください(^^ゞ
僻みによって不愉快な出来事になってしまったときは、
相手に勝つことを考えるのではありません!
僻みの仕組みに克つこと。
自分の長所に気づき、より豊かになっていくこと。
それが僻みの心に打ち克ち、服従させることになります。
克服です(笑)
これが巻き込まれた事実の中にあった真実の教えです。
さて、ここから耳がイタイ話。
巻き込んでいる張本人だったら今すぐやめると宣言してください。
貴方を救えるのは貴方だけです。
相手が退散し勝ったと思っていた出来事の中にある真実は、
「この人と関わっていても無意味だ」です。
戦いに勝ったのではなくて、
この人と関わっても無意味だと放棄されたんです。
誠実の輪の中から外されただけ。
イメージで言うと、
足元に相手が放りだしていった剣や金貨を、
独り占めできたと思っているような感じ。
でも実は、そんなものよりもっと素敵なモノがあっちにあるから、
この剣と金貨は要らないよと、
その場に置いていっただけ。
ほくそ微笑んでいても、周りを見渡せばだれも関心を寄せてはくれていない。
あっちのほうでなんか楽しそうに賑わっているのを、
一人で剣と金貨を抱きかかえて眺めているような感じ。
その状況にやっと気づいて、
また妬み、僻んでいる。
僻みが根の性分に板についてしまった場合は、
失ったものの大きさにまったく気づかずに、
人生を終えることが良くあります。
血の繋がった家族にも疎ましがられ、
死の間際でさえも、
姿がないことさえあります。
このように僻みはいずれ孤立化します。
勝利しているつもりでも、相手は土俵にすら実は上がっていません。
私利私欲によって欲しいものは手に入れられはしますが、
良く観れば失ったもののほうが大きかったりするんです。
僻みは事実の中にある真実をけして反映しません。
愛想をつかされたってことなだけです。
心の中に人を信頼する愛がなかった為に、
愛のない行為をやり続け、
愛を持った人から愛想をつかされる羽目になる。
本人がやめない限り、
人に与えたものは全部自分に帰ってきてしまいます。
どうぞ気をつけてください。
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