何かの苦しみがあって、
それをなくしたいと思って取った行動が、
甘いものを食べる、お酒やたばこに手を出す、
ちょっと体を動かしてスッキリしたから大丈夫、
遊んでスッキリしたから大丈夫だ、
という繰り返しをしてきた人は、
それ不安や不満を薄れされるアディクション(嗜癖)って知ってますか?
わかりやすくイメージするなら、
泥のついた体の上に、
タキシードやウェディングドレスを着て満足するようなもの。
泥とは何かを学び、
二度と泥に手を出さないように理解するのが、
’大人のヨガ’です。
苦しみを生み出さないために、
不健全な行為や関係と袖を別つには、
自主的な規律づくりが大前提です。
昔の教えって、
個人の生き方が確立することを目的としているので、
はじめから必要なことを配慮して教え説いています。
一般社会でも必ず必要なものを最初に教え説き、
さらに、
もっと本格的に知りたかったらという二段構えなのですね。
だから、安心して皆様も活用してください。
今日お話しする内容は、
建物に例えていったら土間打ちの部分。
どこに、その構造物を立てようとしているのか。
泥濘では困りますでしょ。
ライフスタイルの指針になるような大まかな注意事項があると、
助かりますよね。
ヨガでは「ヤマ・ニヤマ(禁戒・勧戒)」で説いてます。
安易に『規則』と解釈しがちですが、
大人のヨガでは、もうちょっと深く理解します。
『戒律』
じつは、戒と律でそれぞれ意味が違っています。
戒とは、
自分が自分のために作る規則です。他人が入り込みません。
自分が約束を破ったときは、自分で罰を決めて、自分で改善に努めます。
自主自発、自己受容、積極性の取組みをもうここで体験させます。
律とは、
組織を運営するための規則・規範です。こちらは誰かが罰を与えることができます。
是正し、許しを請うことで組織に所属できます。
主は戒です。
これがなければいけないのですね。
もしなかったらどうなると思いますか?
自分自身を拠り所とする判断力がつきません。
言われるまでやりません。
誰かの作ったお約束事への傾倒で終わります。
規範依存、教条主義、絶対主義、隷従に陥る可能性が大です。
それと、
形式的な覚えに留まる危険だってあります。
形骸化する恐れもあります。
マナー守れる人ですよとその場だけ装ったり、
制限の中に滞在しているときだけは機能しますが、
それ以外の場では、対応できないというのでは困ります。
そうならないために、
はじめから自主自発性と精神性を育てる目的で『戒』を持ちます。
これって、
現代一般社会でも必要なことではないでしょうか。
実例で言えば、
ごく最近、コロナで環境が変わった途端に、
自分で規律を保てず、不調になった人たちがたくさんいましたね。
集団心理ばかりが発達し、
承認欲求がなければ不安でならないというはコレ。
嫌われる勇気の本が今も売れる理由です。
ということで、
自分のためにお約束事をつくって実行する意識改革をもちましょう。
心をカラッと晴らせて、
良い大地に自分を立てていけるように心構えを持ってください。
続きは明日。