昨日の続き。
親御さんにお聞きします。
思い通りや想定通りなどは脇に置き、
子どもの『存在』を大切に思う行為をしてきましたか?
’大切に思う’とは、
『存在』を大切に思うってこと。
欠けているところや、
良くないところばかりに目を向けて、
『そこを変えれば尊いのよ』と教えるものではありません。
生きづらさを抱えた人が、
親から与えられていた行為は、以下のような矛盾した行為です。
愛しているわよ(といいながら)でもそれじゃダメ。
可愛いわよ(といいながら)でもうるさいからこっちに来ないで。
大好きよ(といいながら)でも忙しいから今はやめて。
勉強しなさいね(といいながら)でも親に聞かないで持ってこないで。
勉強頑張ってね(といいながら)、でも家の用事もやってもらわないと困るのよ。
学校頑張ってね(といいながら)、でももめごとはこっちに持ってこないで。
好きなことをやっていいのよ(といいながら)、それよりこっちのほうがいいわよ。
というような類のもの。
大切に思っているのは親の要求のほうで、
つねに親の要求に焦点が必ず当たってます。
これが『執着』の姿です。
けして、子を愛する(大切に思う)ではありません。
親御さん自身もアダルトチルドレンで、
愛(大切に思う)がわからない状態で育児をしてるので、
歓びがわからず上記のような対応になります。
誤解のなか子ども側は、
親の姿を見て「別のもの」を習得します。
・強い者の存在を認めること
・他人に介入してもらってを満たすこと
・怒りや不機嫌を持ち出してでも満たすこと
・外部の人には内緒、いいところを見せたほうが良いこと
・弱い者は、介入して初めてその存在が認められること
・それで世の中はうまく廻っていること
・優劣が人生の幸不幸を決めること
そのメッセージから、
・相手の目に適う姿になってないから捨てられる
という尺度を習い、自尊心の欠如に至ります。
要約すると、
大切にされる経験がないため、
大切にするがわからないという現象が起こり、
自分の欲望を叶えるほうが執着のほうが大切になります。
ややこしいことを色々と説明しておりますが、
意識しながらトレーニングすれば、
’大切に思う’を出来るようになります。
☆湘南茅ケ崎Salon Hanamizukiホームページ☆