久々にMYヨガメソッドです。(興味がある人だけ読んでください) ←同じくだり。
前回は9月18日だったわね。
参考になる書はあるけれど、習う人や教わる人を求めませんでした。
でも勘はあった。
当時私が手にしたヨガ行法の著書は、
今のファッション雑誌のような掲載は、微塵もありません。
「人間改造・人間回復」です(笑)
美辞麗句はない。
むしろ辛辣なほど、人間の弱さをついていました。(それが良かった(*'ω'*)オモシロイ!)
迷妄や惑わしが感じられない。
一冊丸ごと日々の実践書。(でもね、手元になんか置いとくわけがない。捨ててるし、、、)
今自分が出来る事だけやってみるだけ。。。(病気になるとそれが必然になる)
検討違いも、浅はかさも経験でよくわかる(*'ω'*)
それらがものすごーく意味を持ったのは中年ぐらいから。
越えなければいけない幾つもの課題がポンポン与えられる。
これが本腰自己鍛錬のはじまり。(たぶんこの年齢になるのを待ってたのではないかと思うぐらいよ)
・綺麗なフィールドで「美辞麗句・平穏な心」は当たり前のこと。
・実践は苦境に立ってこそ意味がある。
・同じ感性の者と一緒に居ると、世界が小さくなることがある。
・全く違う価値観の者に囲まれる経験が、言葉、思考、行動をガンガン変えていく。
これが「道が開かれる」って意味かなって感じました。
視野が広がることは自分を助けることだと思えましたね。
修羅場 → 心ひとつで → 正念場
怒りそうになったら笑うか泣く 嫌いな人とは笑顔で交流。
好きか嫌いかではなくて、興味がわいたら近づいていく。
こうやって「癖」は、めっぽうコントロールが利くものだと面白くなっていきました。
心の中に潜む「闇」の部分が露呈するたび、それを元手にまた修行。
飽くことのない課題がポンポン与えられますよ。
そんな結果、行法の仕組みは「脳開発」であることに結局つながりました。
古典ヨガの中でも、もっとも私が好きなのは「ジュナナヨガ」。
感覚器官や心理機能など、どのように脳を使って
「人間」を動かしているのかを理解していく分野です。
皆様も、是非マットの上でポーズをとる事から世界を広げていってみてください!
そうそう、最高のサーダナ(修行)とは、屈辱をも楽しんで教材にすること。
人がもたらす災いを相手にすることが、最も気高い鍛錬です。
静寂な場所ではないと心が平穏になれないとか、
静寂な場所に行かないと心が癒されないとか、
感性の似た者同士しか受け容れられないとか、
そんな楽しい場所じゃなきゃ居られないとか、
それは、全然自分の五感と脳がコントロールされていない赤ちゃん状態!?であることを
これからも皆様にお伝えしていきます。
「鍛錬」は、真に深く物事を観る意味をよく気づかせてくれますよ☆
日常生活で十分鍛錬は実行できます☆
以上part2でした。最後までお読みいただきありがとうございます(*'ω'*)ryo
またいずれ。不定期投稿です。。。。
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