2016年9月28日水曜日

美辞麗句は通用しない鍛錬


久々にMYヨガメソッドです。(興味がある人だけ読んでください) ←同じくだり。

前回は9月18日だったわね。



参考になる書はあるけれど、習う人や教わる人を求めませんでした。

でも勘はあった。

当時私が手にしたヨガ行法の著書は、

今のファッション雑誌のような掲載は、微塵もありません。

「人間改造・人間回復」です(笑)

美辞麗句はない。

むしろ辛辣なほど、人間の弱さをついていました。(それが良かった(*'ω'*)オモシロイ!)

迷妄や惑わしが感じられない。

一冊丸ごと日々の実践書。(でもね、手元になんか置いとくわけがない。捨ててるし、、、)



今自分が出来る事だけやってみるだけ。。。(病気になるとそれが必然になる)

検討違いも、浅はかさも経験でよくわかる(*'ω'*)

それらがものすごーく意味を持ったのは中年ぐらいから。

越えなければいけない幾つもの課題がポンポン与えられる。

これが本腰自己鍛錬のはじまり。(たぶんこの年齢になるのを待ってたのではないかと思うぐらいよ)

・綺麗なフィールドで「美辞麗句・平穏な心」は当たり前のこと。

・実践は苦境に立ってこそ意味がある。

・同じ感性の者と一緒に居ると、世界が小さくなることがある。

・全く違う価値観の者に囲まれる経験が、言葉、思考、行動をガンガン変えていく。



これが「道が開かれる」って意味かなって感じました。

視野が広がることは自分を助けることだと思えましたね。

修羅場 → 心ひとつで → 正念場 

怒りそうになったら笑うか泣く 嫌いな人とは笑顔で交流。

好きか嫌いかではなくて、興味がわいたら近づいていく。



こうやって「癖」は、めっぽうコントロールが利くものだと面白くなっていきました。

心の中に潜む「闇」の部分が露呈するたび、それを元手にまた修行。

飽くことのない課題がポンポン与えられますよ。

そんな結果、行法の仕組みは「脳開発」であることに結局つながりました。

古典ヨガの中でも、もっとも私が好きなのは「ジュナナヨガ」。

感覚器官や心理機能など、どのように脳を使って

「人間」を動かしているのかを理解していく分野です。

皆様も、是非マットの上でポーズをとる事から世界を広げていってみてください!




そうそう、最高のサーダナ(修行)とは、屈辱をも楽しんで教材にすること。

人がもたらす災いを相手にすることが、最も気高い鍛錬です。

静寂な場所ではないと心が平穏になれないとか、

静寂な場所に行かないと心が癒されないとか、

感性の似た者同士しか受け容れられないとか、

そんな楽しい場所じゃなきゃ居られないとか、

それは、全然自分の五感と脳がコントロールされていない赤ちゃん状態!?であることを

これからも皆様にお伝えしていきます。

「鍛錬」は、真に深く物事を観る意味をよく気づかせてくれますよ☆

日常生活で十分鍛錬は実行できます☆


以上part2でした。最後までお読みいただきありがとうございます(*'ω'*)ryo

またいずれ。不定期投稿です。。。。



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