2017年5月10日水曜日

昔から愛の行法は容易ではない

依存症は昨日今日で始まることではなくて、

ずっと昔の乳幼児期からの成育歴が絡んでくるので、

紐解きをブログで説明すると膨大化しまくる・・・・

ガンガン飛ばしても、尽きない感・・・・おぉぉ・・・

途中で脱線したくなるやも・・・・(笑)

ということで、息抜きと行きましょう♡ブレイク(^^♪

古典ヨガ的で♬


ラブアディクションの前に「煩悩」の仕組みをサラッとお伝えしたの覚えていますか?

無知ゆえに多くの過ちを知らずに追いかけ続けているのって、

怖いことよね。

知ることの大切さを思い知らされます。

無知→我欲→憎悪→執着→性への執着よ。

忘れないでね、なんでも使えるよ(*'ω'*)


昔から愛の行法は困難とされていたもようです。

「エロスの官能」と「統合の甘美」は、とても誤解が起きやすいと。

唯一無二なる言葉は、人を人にしてはくれないようなものなのかもしれません。


奉仕。これは難しいですよ。

「愛」とは、その人に内在する力の成長を心より望む。

その人がどんな愛情を与えられて成長し人格を作っているか、ハッキリとみることになります。

欲しがり過ぎ。これは愛情飢餓から「思い通りにしたがる」傾向が顕現。

精神性の高い方は、小さなことに感謝が出来る。

天と地の差が目の前に繰り広げられる。


古来、慈愛だけでなく慈悲を学べとありますが、誠だなぁと思います。

人間の性分をきれいごとでは片づけられるはずもない。

与えることは素晴らしいこと。

ですが何を与えるかがとても難しい。

与え過ぎが人を人から遠ざけてしまうことがある。

与えないことを与えることも必要なことがある。

愛しすぎという感覚が苦しみを作るのなら、

見捨てるのとは違う、

毅然と見るに限る強さを自分に持つ必要があるのかもしれません。




湘南茅ケ崎Salon Hanamizuki~Ayurvedaセラピストスクール生随時募集中~
通販サイト☆アーユルヴェーダnewsでアーユルヴェティックカウンセリングもチェック!