2017年5月13日土曜日

逃避しながらでも依存したい依存症

中毒症患者が中毒症の方と一緒に暮らすことを好むことはなぜでしょう!?

ちょっとしたからくりです。

自分の問題が重症化しているようには映らないからです。

自分の問題が表面化していても、

相手も同じ問題を持っているので、局面に置かれている感じがマヒしてしまいます。

そのため、有害な問題行動を増長していける余地が生まれ抜け出せなくなるのです。


一度は別離を決心してみたものの、

禁断症状が現れ、一人でいるのが難しくなります。

見捨てられ不安がうごめき、感情失禁に呑みこまれます。

仕事や用事で気分をまぎらわそうにも、頭の中は相手の面影が渦を巻いて、

思考回路が分断し、手につかなくなっていきます。

日常の至る所で、相手の面影がついて回りせん妄が現れることもあります。

その時に思い出すことは、甘い関わりの断片です。

有害な問題行動よりも、融合と喜びの行動に焦点が当たり、

居てもたっても居られなくなり、連絡をまた取って戻ってしまうことが起きます。


再会ののち、絶望感から解放されて、自分の行動には間違いがなかったと思いがち。

そしてしばらくすると、お互いの有害な問題行動が再燃するのね。

一度は回復の兆しが見られる行動になっているように映りますが、映るだけなの。

絶望感から解放された感覚の余韻なのね。

つまり、

絶望感でなければいい。絶望感を味わうよりはマシだってことなだけなのね。

この感覚に呑みこまれているだけ。改善などしてやいません。

自分の体感に刷り込まれた感覚がすでに問題なのです。


ラブアディクションを克服した方が、新しいパートナーシップを再開した際に、

よく共通する言葉があります。

「なんだか平穏で物足りない感じがする」というのね。

これはね、もともとラブアディクション時にあった「体感刺激」を、

かすかに欲しがる感覚がまだあることを意味します。

相手が必要なのではなくて、刺激が欲しいだけ。生理的作用の余韻。

残骸を残骸と認め自覚し、二度と振り回されないように気をつけること。

穏やかで他愛もない日常を大切に思える感覚を上書きすることが最終ステップです(*^^)v





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