どうしても赦せない。
人生で、そんな経験をする人もいます。
今日は、それを掘り下げます。
部分的思考、未分化思考、白黒思考というのを、
前にブログでご紹介したのを覚えてますか。
「悪い人」「良い人」の二分的思考で判断する癖を持っている場合、
どうしても赦せない状態が続いてしまいます。
「相手の行為の一部」を全体像とみなしていることが多いのね。
何年もひきずってしまう人は、
自分と相手の課題を分けて考える必要がありますね。
自分の見方に注意を払ってみると、疑問が理解に変わる。
条件が多い人ほど、相手の行為が赦せない。
多くの条件を常識観として持っていると、
その範疇に収まらなかった場合は、腹が立ち赦せません。
期待値が一瞬でも高くなってしまった人ほど、
条件外の行為を赦せなく感じます。
意外なことですが、
自分の二分的思考を、理解するために起きていた経験としてみると、
芋づる式に、今まで起きていた問題が理解できる場合があります。
劣等感が心を埋め尽くしている時、
被害者意識と孤独感を、とても強く持っているものです。
他人の放った一言に、必要以上に強く傷ついてしまったように感じます。
「孤独の分に比例して、人は癒着や恋愛にのめり込む」
という言葉は、その通りです。
暗闇の中で手に入れた癒着や恋愛で、別離を受けた場合は、
必要以上に辛く感じるものです。裏切りとさえ思えます。
執着心が強いときほど、裏切りは引き裂かれたように、痛く感じます。
10の出来事が、100にも200にも感じるほどに、
心が敏感&神経質になっていたかもしれません。
本来、人間は好条件下であると、寛容である性質があります。
偽りの穏やかさ。未熟であることを隠している状態と言えます。
表面的な理解と、寛容を誇示していただけの場合は、
在る出来事を通して露見します。
ありのままの自分を受容していない不誠実な状態から、
自分本来の姿を受容することを、学ぶ出来事と言えます。
未熟な自分を見抜き、
恥をかかされたとの思いが、残っているかもしれません。
自分の影なる部分を、切り捨てたようにしていた未熟さや、
自己顕示欲や承認欲求や誇大化した自己を認め、
育て直すことで、
寛容の本当の意味を、学ぶことになります。
長期目標に、
①自分も他人も総合的に観れるようにすること。
②良し悪しで判断する癖があることに気づいて、止めること。
③自分の正負を受容し学ぶこと。寛容さは体現しないと、本質は身につきません。
これらを学ぶ経験であることを、ちょっと頭の片隅に入れておいてください(*^^)v
そうそう、どうしても理不尽な問題については、
苦肉の策ですが・・・・・
④人智を超えた力に任せる。
て、思うことも大事だと教わりました。
心理学的にはどうしても無理な場合、
哲学や道徳的に観て、人が人を裁くことが難しいことだってあるから、
自然の法則に従えと言うことだろうと思うのです。
囚われた心のままで生きるモノではないと、言いたいのだろうなぁと思います。
相手の問題は相手のモノ。
いつまでも悪縁に囚われるものではないとの、救いの言葉なのだろうと思います。
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