まるで、
パンパンに膨らんだ水風船みたいなものです。
謝ることでしか、辿り着けない場所ってあるのよね。
今年前半で、「怒りの未学習」について、取り上げました。
怒りの学習と、
懺悔と感謝の学習は、ワンセット。
未学習ってことは、懺悔も感謝も、
心の底から、良く理解してないことになるのよ。
では、
怒りの未学習で、学んでしまったことは、
何でしょうか?
それは、利害損得と誤った保身です。
強情から、歪んだ自己愛が生まれてます。
警戒心のほうが勝っている状態です。
幼児教育は、とても大事なんです。
こんな小さなうちから、
行動の動機がほとんど無自覚に、
恐れからくる利害損得勘定になります。
物事が、「勝つか負けるか」に偏っていくの。
言葉では表現しようもない怒りに憑りつかれて、
謝れない。。。。
教育方針が「支配的」であったりすると、
歳を重ねても、
心の平穏を、実感することがほとんどない。
愛着の不安定型がすでに根付いているからです。
幾つになっても、欲求不満は解消されない。
それどころか、
なぜか対人・外部環境問題は、
少なくなるどころか、増長する。
青年期以降は、社会的メンツの問題もプラスされて、
ますます鎧を被るしかなくなります。
どこに行っても、不快と不満はついて回る。
心の喜楽は、蜃気楼のように、すぐ姿を消し、
何故か、同じ失態を繰り返していく。
会社でも、プライベートでも勝ち負け観念と、
怒りに憑りつかれて、謝れない。
「どうして自分が謝らなきゃいけないのだ」と、
自分にマインドコントロールされちゃってます"(-""-)"
過去、
援護がない状態にさらされた環境や、
親や年配者に強制的に謝罪させられた場面が、
記憶に焼き付いている場合は、
絶対大人になったら見返してやるぞ的な、
恨みと怒りの感情を持っています。
心理的な負荷がかかった時に、
暴発してしまうのです。
怒りの未学習は、人生に影を落します。
謝れない人を、謝れるようにするのは至難の業。
子どものうちのチャンスを逃すと、尚難しいです。
ご本人が、虚像を優先するあまり、
欲が勝って謝れないだけかと自覚しないとね。
それほどに、
虚像が崩されることに、恐れを感じているのかと、
見破ったとき、
人は変われる切符を、手にします。
強情で謝れない人に共通しているもの。
それは、
①傷つけられることへの恐怖。
②見捨てられることへの恐怖。
そして、
③支配されることへの恐怖。
です。
この3つの恐怖が必ずあります。
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