古典ヨガでいきます。
今日は、外交人格と内的人格の統合を、
大きく捉えて、先に大筋を覗いてみましょう。
平板化しやすいプログラムを、
もっと温かな情感をもって取り組んでほしいからです。
太古の心の実践法で導き出した心理分析は、
現代の心理学と随分と被るところがあります。
ざっとご紹介します。(そういいながら、ちと長い)
ヨガ哲学初めての人も、概要になります(*^^)v
ヴェーダを始めとした東洋思想では、
「心」といえば、「命の働き全体」を指します。
ヨガから拝借して、
馬車で考えてみます。
車体は肉体。
五頭の馬は、知覚器官。
手綱は、知覚神経。
騎手は、脳処理すべて。顕在意識。
客人は、真への導き手。無意識。
これらの連携が「心の働き」です。
知覚し、感受し、認識し、意思を作り、そして行動をする。
「脳が壊れたら、体は動かず」の考え方があると、
実践法を進めて行きやすいのかなぁと、個人的に思います。
馬(五感)が暴れないように征し、
騎手の統制力や指導力が問われ続けます。
自己鍛錬中に、
「自分の脳以外に問題はどこにもない」とすると、
かなりの気づきが起きます。
自己卑下ではない、成長の為のプロセス。
それは、肯定の連続です。
実践法の訓練の中で、
色んな自我の特徴を捉えて、
清浄化し、最後は以下のようになっていきます。
①「自我(己)」といえば、騎手。
意識の中心人物です。
感情と欲情を含み、
足らぬものを満たすための欲求行動の天才です。
一時の利得に翻弄されて、
仮面だろうが嘘だろうが重ねていきます。
訓練しないと、
低次な処理をしちゃいます。
幼児性万能感満載よね。
②「自分」といえば、客人。
命の働きを本道から逸れないように、
内から黙って見守っている存在と意味づけてます。
③「自己」といえば、自分と自我(己)のタッグです。
きっと客人は、これを望んでいるのではないかと勘を働かせて、
自我(己)は誰に言われずとも鍛錬し、
高次に処理が出来るような状態です。
感情と欲情の揺さぶりを理解した上で生まれる、
騎手の新しい理性と知性による意思と行動です。
上記は、いつも私の頭の中にはあります。
定着してます。
スタート時は、
心の中心にいる「自分(客人②)」は、気にも留めません。
意識の中心にいる「自我(己、騎手①)」がのさばってます。
肉体ばっかりメンテナンスしてたり、
手綱を持っても、どっち行くんや何考えとんねん的。
(↑なんで関西弁!?個人的に魅力的なだけ)
中盤は、
鍛錬(修行)で技術向上、意識改革してくると、
「自己③」の意識がだんだん堅牢になってきます。
時折、
「自我①」にしてやられる感じ。(チェッ、やっちまったって感じ)。
でも終盤は、
「自我(己①)」を制し、意識の中心を「自己③」が陣取る。
「自分②」の気持ちを汲むのも的中。
修行をしている感覚もない。
心に集中し、心の動きを制御も止滅するだけの力もついている。
心の揺れは、縁起による自動的な感受と想起によること、
原因は外にはなく、識別によるものだと看破。
どのような気分や思考を選択するかは、
自分次第でどうにでもなると気づいている。
こうなると、
変容。
再誕生。
本来の自分への回帰。
自己実現。
自己統合。
色々な言葉で、ガンガン表現されてますね~(数知れず)
そして、さらに先に進む人は、
もっとマニアックな世界観に突入です。
こうして実践法を積み重ねてくると、
「心の中心」には、
見守ってくれている存在の感覚がある。
真我一如なんて言葉は、一心一体をうまく表現していると思います。
そしてこれが、
心理学でいうところの「愛着」の感覚なのよね。(←自分②・客人同様)
「意識の中心」には、
愛着の感覚に支えられながら、
ひとつひとつ人格を成熟させて、
応えていく自意識がある。(←自我①が自己③に成長)
自分を活かすための選択が容易になっている。
私は歩んだ道で、見つけました。(自分②and自己③>自我①)
著書には、
誤認識、錯覚、睡眠、記憶などを始めとした、
心の印象を清浄することってなってます。
私はそれに、
自我防衛機制、人格の問題、愛着の問題等を足しますね。
大雑把に片づけるより、
細部にわたり隠された数々の問題を、
一つ一つ白日の下にさらし、
統合していくことを選びました。
ついで、
個人だけでなく、
家族や家系に残された問題も、
一緒に清浄化することに、
比重を置いています。
みんなで幸せになりたいから♡
それで、愛着の再形成と名付けたの(*^^)v
また、
好条件や安泰な場所の中によった修行より、
喧騒な場で、自我(己①)の動きを、
顕現させるくらいの修行をするほうが、実力がつくと思ってます。
尻込みせず冒険して、
勉強材料を得るほうがいい。
問題を持っているなら、
とことん掘り下げて、
臆せず内に進む訓練をすると、
抜本改革にちゃんと辿り着けますよ(^^♪
東洋思想の心の実践法と、
後になって知った発達心理学の論理を照らし合わせて、
酷似しているわね~とひとり感心してました。
だって、数千年も前の太古の段階で、
心の問題を見つけてるって凄くないですか?
心理学は、せいぜい数百年ってところですよ。
今ヨガと言えば、身体のメンテナンスが独り歩きしてます。
多種多様化もしています。
残念なことに、心のメンテナンスは置いてきぼりだから、
心の実践法を、もっと身近に役立てたらどうだろうかと思ったのです。
そんな思いで、サロンやってます。
愛着の再形成GOOLは、
自分の言葉に従って行動し、責任を取れるようになること。
また、自我中心的な行動の識別が出来ること。
物事は、実際に行動し体得すること。
他人の価値観に隷属するのではなく、
ちゃーんと自分を活かし向上していく楽しさを、
身につけていることだと思っています。
愛着の不安定型の人は、
どこかで「自分の言葉」よりも、
「他人の言葉や価値」を鵜呑みにし、
熟知しないで使っていることのほうが、
ずっと多いのだろうと思うのです。
だから、
メンタルヘルス・実践法には価値がある。
生きている限り、やれます。
内から出てくる言葉に従う積み重ねが、
自立心や独立心の本当の意味や、
懺悔と感謝の意味を、
たっぷり味合わせてくれるのだろうと思います(*'ω'*)
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