2018年7月2日月曜日

子どもの頃の甘える欲求は大事にすること



貴方の生家では、甘えることを許されていましたか。

それとも、早く大人になるように、

厳しいお約束事を強要されてきていますか。


甘えは何歳までなら許されるのでしょうか。

個人の創造に頼るほかありません。

創造とは正解のない曖昧さの中に、

自分だけの納得を創り上げていくことです。

心の成長を見届けながら加減していくしか手段はありません。

育て方と育ち方の両面を観察して、

調整していくことになります。


援助と管理は紙一重。

指導や養育する側は、厳しすぎて優しさや温かさがないのは問題です。

知識を詰め込み模倣させる教育と、

人の心情に訴える教育は、

随分と勝手が違うからです。

一昔前の時代にはびこった「根性論」「自己犠牲の精神論」「ハラスメント論」では、

真の成長が返って遠のく可能性が高くなります。


幼少期の甘えの行動には、

他者への絆と自尊心の育みが同時に発生しています。

(このことを知らない大人が多い)


甘えることは、

他者に自分自身の存在がどのように受容されているのかを、

一度確認する手段なんですね。


「私(僕)のこと見てる?」

それが一番最初の確認作業です。

人は誰に教えられなくとも、

「君は所属の一員として、

みんなと一緒に居てもいいよ」と、

許可されているかを確認しています。

本能的な愛らしい姿だと思います。

子どもの甘えは、微笑ましいことです。


子どもの激しい癇癪の中にも良く観察をすると、

甘えの欲求と承認の欲求による確認作業が最初にあります。

それは言葉にならない「何かが足らないことへの恐怖心」や、

「絆は大丈夫かな?」が動機になっていることが多いです。


繰り返される癇癪に、

ヘロヘロに疲弊している親御さんたちとお話をしていると、

子どもの癇癪が激しくなっていく原因に、

不自然さがあることに気づきました。


心の仕組みを知らないあまりに、

早く成長して欲しいとの親の欲求を優先していたのですね。

子を持っても親心が突然備わるわけではありませんし、

育児技術が備わるのでもありません。

手探りでの育児に余裕がどんどんなくなって、

心配と疲れが重なり、

子どもに早く成長して貰って協力をしてもらおうと焦って、

甘えを取り上げるような行動に陥ってしまっていたのですね。

まるでカオスにハマり込んでいるような感じでした。


このときの子どもは、どんな心情になりやすいと思いますか?

甘えたい気持ちを押さえて、

先に親の求めた行動をして褒められたら、

その後甘えられるかも!と、

逆転していきます。


条件を満たすことをすれば承認されて、甘えを許して貰えるはずだ公式


これが習慣化していくと、

甘える前には何かをしなくちゃとなります。

条件は何?何すればいいの?

と、顔色を伺うことが先になってしまうのです。

しかし、甘えられる状況を後で得られないのよね。

気持ちを汲んでは貰えてない。

それで行き場のないモヤモヤが、子どもの心に生まれます。

それで心が苦しくなってしまうのです。(←恨みになります)

上記は愛情が剥奪される経験となります。

(これが今日からのお題目)

甘え損ねのメカニズムが心を襲っていくのです。


甘えの行動の中にある他者への絆と自尊心の育みは、

損なわれたまま未解決で潜在意識に残ります。


そのまま大人になった場合どうなると思いますか?

「社会適応が早い年齢段階からやれるようになる一方で、

相手の要望や用事を先に片づけることこそ愛し合う形だ。

それをしない人は、絆など必要ない」と、

厳格すぎたり冷酷だったりと、

偏った認知の歪みが生じていくのです。

・差別化

・正義感

ふたつをよく持ち出す背景には、

甘え損ねのメカニズムがあることが少なくありません。

甘えさせてくれない他者への嫉妬と、

甘えられない劣等意識の現われです。


幼少期の甘え損ねは、

ご本人にも自覚されないまま、

無意識の領域に抑圧されていることが少なくありません。


一方、家庭の中で甘えることを許されてきた人たちは、

他者に対する基本的信頼感を得ているのと同時に、

他者を受け容れることへの理解と共感が身についています。


この人達は、

「甘えていた子ども」から「他者を見守りながら育てようとする大人」へと、

自然と向かって伸びていきやすいのです。

「甘えさせることができる大人」になる喜びへと自然と移行するのよね。

つまり、

やってもらったことを、今度はやってあげる側になる喜びへと、

自然と変化し楽しむのです。

全然違いますね。


(甘えへの対処の一例)

甘えたい気持ちの発動を一旦受容する

心の仕組みだから、共感すること(あらん、甘えたいのね)

もじもじモード、地団駄モードの静まりを待つ(様子見)

援助して少しずつやれる楽しさを与えてあげる(親もあの手この手で模索)

ちょっとでもやれたところを褒める

ちょこっとやればできるじゃんモード(パチパチ一緒に笑顔で喜ぶ)

繰り返して、やれる部分が増えていく

自発性に変わる


本来人は子ども時代に甘える中で、

他者への絆と自尊心をゆっくり作り、

ついで自己意思の決定を楽しんで持ちます。

温かい受容の感覚の中で、

誰に言われずとも自分と正直に向き合い、

どうやったら取り組む気になるのかを模索しながら成長し、

自信をつけます。(←健全な自己愛ね)


ここで先週までのお饅頭の皮とあんこの関係を思い出してください。

分厚いお饅頭の皮タイプさんや、

いちご大福タイプさんは、

上記のような甘えへの対処を親にしてもらった記憶があまりないのね。

甘え損ねが深く関係していたんです。


条件を過剰に幼少期から目の前に置かれ続けた環境や、

安穏とは言えない家庭環境では、

自己決定の力は脇に追いやられ、

他人の要望をまず先に汲み、

承認を得れば大丈夫なんだと認知する脳構造になりやすいのね。


誰かの命令をただ顔色を伺いながら待ち、

それからしか動けない状態に傾倒します。

そのため自由意思決定をする経験がとても少なくなります。

自分の五感に頼った実質的な情報源が集まっていないために、

年齢が上がっても判断が出来ないでいます。


もし出来ることがあるとしたら、

苦痛をいち早く省くだけの仮想を見立てることです。

結果、理想と現実の差異に苦悩し、

現実社会には不適応になりがちです。


人の心の成長には、やっぱり手順があるんですよね。

子どもの頃の甘える欲求は大事にすることです。

それを知らないあまりに的外れなしつけになっていると、

それが生涯に渡り、その人の人生を狂わせていくのだろうと思います。

是非興味を持っていただきたい。


明日は甘え損ねを持ったまま大人になった人の行動をご紹介します。

お楽しみに。







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