どうして人を変えても上手くいかないんだろう?
ここは落ち着いて掘り下げましょう。
誰かが側にいたとしても、
自分がいつも気持ちよく過ごすには、
どんな条件を持ち出すのか。
①相手が、自分を気に入ってくれている必要がある(賞賛・承認)
②相手が、常に自分を気にかけてくれる必要がある(優先・上位)
③相手が、自分の考えを常に尊重し、受け入れてくれている必要がある(完全受容)
原因はここ。
ビックリするかもしれませんが、
考えの中心には、
かならず自我を通したい欲望が据え置かれてます。
どんなに自覚がなくても掘り下げれば、
最大の心の欲求は、
自己保身と自我中心です。
では、事のはじまりに目を向けましょう。
①の気に入ってもらうための行動は、
迎合(あなたのお気に召すように何でもやります)や、
察して欲しいなぁと願って行動したことが発端です。
ただし、のちにこの行為そのものが抜け落ちます。
『相手が発端だ』に切り替わって、
記憶から排除されます。
ご本人の記憶のなかでは、
堂々と抜け落ちていて、
逆に相手は、
そこから物事が始まっている認知です。
もうこの時点で、二者の間に食い違いが生じてます。
②と③については、
どれだけ相手が自分に感心しているか、
どれだけ手を出してくれているか、
どれだけ心の欲求を満たしてくれたかが判断基準です。
自分は判断する側なので(上位)、
自分の行いについては自然高評価となりますが、
相手のやってくれなかった行為だけは、
強く心に残ります。
付き合っていたときのストーリーが、
二者間で大きな食い違いが起こっています。
他責の習慣から、
自分に焦点を当てる力が弱いため、
つまり、
自分の行動の原因と結果が、
明確に結ばれていないまま放置されます。
(これは結構危険です)
今度こそと願っても、
思考パターンが根本から変わらない限り、
同じ繰り返しが起きます。
恋愛事情に、このことははっきりと現れます。
察して欲しい行動は、
相手との接近によく使われ、
取り入る術となります。
共依存・他責の習慣を持っている人は、
物事は常に相手で始まり、
相手がほとんど悪いという収め方です。
交際中は、
相手に問題があると責める行為以外の方法が見つからず、
ついには、
相手がその状況に辟易して破たんになります。
無理もありません。
他責の延長にあるものは、
・モラハラ(強迫症状から起こる)
・パワハラ(力任せで押し切る)
・DV(暴力で征服する)
ですから。
愛の進展の妨げをしてるのは、
正しいと思って使ってきている思考の習慣です。
中立的に物を視る第三者が入り込まないと、
この精神作用は、
なかなか分解されないのが難点。
ブログでのご紹介は大筋に過ぎません。
個人ともなれば、
その問題は数知れずです。
数年かかる人も実際いますから。