心のメモ帳にようこそ。
このブログが皆様のお役に立てますように。
::::今を見つめ直す 不愉快のもとは何?::::
昨日の続きです。
感情の責任を他に見るようになる習慣。
なぜこのような誤った学習を体得してしまったのか?
あなたが目にした大人のなかに、
感情抑制について無知や未熟な人たちが多く居たのではありませんか?
不都合な感情は即座に抑圧や無かったことにしたり、
他者(子どもや周り)に責任を観る態度を繰り返していたのではありませんか?
大人が暮らしのなかで示したのではありませんか?
そして、あなたはそれを鵜呑みにしたのではありませんか?
家族とは一緒に生きる仲間です。
一番小さな組織ですから。
いま誤った学習の動機がつかめたとは言え、
相手を責めてもあなたの能力は上がりません。
そのままです。
歳を重ねて人と関わるうちに、
それらを断捨離するチャンスはいっぱいあったのですね。
でも、誤りを正しいと使い続けた責任は自分で取らなければなりません。
感情の責任者は自分です。
今後不快な感覚が出てきたときは、
自分を知る絶好のチャンスととらえ直してください。
体験を体験で終わらせないこと。
身に起きたことをただ受け流さないことです。
体験に言葉をつけて情報に変え、
情報を巧みに活用してあらたに状況を立て直し、
自分で自分を諭す力を育成します。
愛後遺症やその予備軍のひとたちは、
この作業そのものに無知や体験不足が絡んでいます。
今からでも学習すれば停滞は免れます。
ぜひチャレンジを。
第四章でご紹介しようと考えていた情報を、
ここでチラッとご紹介しておきますね。
心地よい人生を作り上げていくうえで感情に責任を取るのは鉄則です。
じつは、
この鉄則を持っている人といない人では、
精神的な強さと精神的弱さに現れます。
心理的境界線(バウンダリー)の実力が存在するか否かで分かれます。
別の言葉で言い換えるとしたら、
自分の機嫌を周りに任す者は、人生を"周り"に任せています。
他者に振り回される人生をわざわざ選んでいます。
また、他者の感情に巻き込まれる人は、
相手の感情まで責任を取ろうとする習慣で生きづらくなると言えます。
今までの習慣を覆すので、
感情の責任の所在を分別するのは紛らわしいですが、
がんがんトライアルしませんか?
周りを気にしちゃう優しい人は、
そのような自分を大切に(自己愛)しながらも、
他者の感情にまで責任を取ろうとはしない自分でいいのだ!と、
精一杯支えてください。
線引きのトレーニングを繰り返すなかで、
いつか容易に自分の感情を宥めたり、
他者に無意味に関与しないお気楽な暮らしに近づける日を楽しみにしてください。
応援しています。
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