愛着対象の気持ちを沢山図ります。
どんなに困ったことをされても、
自分に関心を寄せてくれるだろうかと、
試します。
これは基本的安心感の欠如の証。
目の前の人を信じられない。
見えない会えない時間をどう過ごしているのか心配になる。
不安を自分のこころが作り出していることに、
気がつけたら制御できるんですがね。
整理しましょう。
幼少期から持ち越した心の使い方は、
「他人が自分を傷つけるはず」の癖を持ってます。
認知のズレ。
思考癖。
境界性の問題を未解決にしているご本人の誤認識。
改善したかったら、ここはしっかり押さえておきましょう。
その嫌がらせは、
子どもの反抗さながらです。
相手にわざわざ不愉快な気分を味合わせる。
嫌がることをしっかりやります。
また、
この嫌がらせの的中率が半端ない。
境界性の問題を作った人は、
過去、親の顔色をたくさん視て自分を守って来た人たちです。
よく観察をしています。
それが相手に従順なよいこの印象を、
最初に与えることに加担してもいますが、
同時に、
異様な観察力と過干渉をする要素も開発しています。
これが裏目に出るのね。
意図してではなく、
生きる術として自然とそれを使っていることのほうが多いから、
本人だけが通常の域。
愛着対象に選ばれた人が、
一生懸命に親身になって甲斐甲斐しくお世話をすることを選択しても、
ご本人が思考癖をやめない限り、
異様な観察力と過干渉は止まらないわけです。
物足りないとばかりに欲深くなる。
その行動が相手に、
重たく恨みがましく疎ましい存在とみなされ、
距離を置きたくなる存在に思われることが多いのです。
つまり、
改善したいと思ったら、
わざわざ嫌われる行為を連続的に、
自分がしていることに自覚を持ちましょう。
認知の大いなるズレとは、
「相手が自分を傷つけた」ではなくて、
「自分が相手を傷つけてもいる」ってこと。
ショックかもしれませんが、事実です。
相手は貴方の行為にリアクションしているだけなんです。
これものすごく見落としている人が多いんですよ。
カウンセラーは、
加害者の言い分と、
被害者の言い分を中立的な場所で分析します。
ここで愛着対象に選ばれた人の心情をピックアップ。
選ばれた人もまた人間。
限界があるわけです。
他人のためにすべてを投げ捨てる人生を選ぶことに疑問を感じます。
自分の人生を考えるわけです。
この人と一緒に居て意味があるのだろうか。
相手をおんぶ&だっこして、生きなければならないのだろうか。
感情の暴発につき合いへとへとになって、
心が疲れ切って別離を選ぶのです。
切りがない要望や過干渉に、
相手の意を汲むだけの人生になるなんて馬鹿馬鹿しいとなり、
健全な自尊心にかけて別離を選んでます。
愛着対象も必死に応えようと努力をしていたんですね。
自己犠牲は真の愛情ではないことを人はどこかで知ってます。
振り回しをした人だって、
親の犠牲になって生きるなんて冗談じゃないと思ったから、
大人なって愛着対象を選んでいるんですからね。
目線を変えれば、
相手の気持ちがよく汲めるはずです。
さて、
人として生きるってどういうことなのでしょうか。
大人になるってどういうことなのでしょうか。
それは支配主従関なのでしょうか。
ずっと甘え損ねのメカニズムを持って、
心が幼いまま生きていくのは、
他人のせいなのでしょうか。
それは違います。
今日の洞察☆
同一化を愛情と思い込むままでは、
生涯、大人になれません。
甘え損ねのメカニズムに関わっていた境界性の問題を、
しっかり自覚して自分を救ってあげてください。
『やり過ぎの域に達しているかな???』と、
ちょっと声掛けして明るい気持ちで一旦停止。
別の愛情表現はないかと思ってみたらどうでしょうか(^^ゞ
善因善果や幸せは、気づきと行動に関わっています。
思考の習慣を変えれば、変化は起きるのは必然ですよ~
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