心のメモ帳にようこそ。
このブログが皆様のお役に立てますように。
第一章の時点での質問回答編です。
『期待』はわかります。
ですがそもそも『希望』ってどういうことですか?
についての回答です。
二つを比較してご紹介しますね。
『期待』は、
「○○になってね」というように、
結果を先に提示しています。
○○と固定化させてます。
言い換えると、
○○以外は許さないということ。
○○以外は否定。
人が人へと期待を寄せるときは、
○○へ必然的に誘導していることになります。
つまり、
選択肢はひとつのみ。
一方、
『希望』は、
「○○になったらいいな」というように、
方向性を一旦探るためにあるようなもの。
無作為に奔走しなくてすむようにしているもの。
○○に固定化してるわけではなく、
なってもならなくても肯定ということになります。
そこに在るものを最大に活用し、
次へと結び付けていけばいいという考えです。
選択肢は一つではない。
これを子育てや家族、人間関係に当てはめてみましょう。
期待のケース。
期待をする側がどこか主導権を持っていて、
期待をされる側は服従を迫られている心理になります。
希望は、相手の権利を剥奪する意図はありません。
選ぼうが選ばなかろうが、相手の権利を尊重している心理です。
前者は機能不全家族の姿で、交流は葛藤か遮断か一方向性が常。
主従関係で同一カプセル化を強要します。
心理的虐待が起きやすい。
ちまたで話題になっている教育虐待の毒親のケースはコレです。
後者は健全な家族の姿で、交流は双方向と和解が常。
お互いを大切にする相互理解で成り立ちます。
後者は『愛する』が基本姿勢で、
相対的にみると『愛される』『愛されている』の関係です。
以上の説明を持って、
期待より希望の使い方を体得することは、
愛後遺症からの回復に役立ちます。
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