2017年11月14日火曜日

自己評価の低さからくる屈折が問題になる

嫌われる人の代表行為には、

なぜか「自信がない」が共通してます。


そもそも自信のなさは、

①本来の自尊心の意味を教わっていなかった。

②自尊心の欠如に自覚がなかった。

③信念の意味を理解していなかった。

以上の3点が原因にあると思ってください。

ゆえに、

比較の眼が異常に働き、

「嫌」の感覚にいつも呑みこまれ、

「嫌い」の心理に立ち向かえず、

未開拓な本来の自分の姿を避け続けて、

自分を信じられなくなっていると、

言えます。


結局自信のなさは、

自己評価の低さによっておきてます。


今日は、ここからが本題。

ただ自信がないだけなら、消極的な態度の特徴であって、

そもそもこれだけでは、嫌われる対象にはなりません。


問題になっているときは、

自信のなさが屈折した形で表現されているときです。

本人が自覚していないか、

もしくは、大したことではないと思っているとき、

それが、特に嫌われるのですね。


嫌われる特徴的な対人態度の現れ方を、

ピックアップしていこうかなと思います。

今日は第一回目、

権威あるものに対する変な迎合的態度、

同じく権威あるものに対する追従的態度です。


これは、

相手を信頼しての態度ではありません。

相手を心から信頼などしてません。

相手は比較の眼による「比較対象物」。

自分より優位な者に、

「まるで追従しているように演じている態度」です。

自分の利得のための追従行為です。


見え透いたお世辞、

歯の浮くようおべっか、

ただ相手の意見に頷いて、

あたかも賛成しているかのように見せて接近している態度。

このタイプは、

その人の前と、居ない所では態度が全然違います。

言ってることも、やっていることも違います。

優越心をこよなく欲する人は、

必ずおべっかをした分取り戻すように、

相手をさげすむ行為を別の場所でします。


この態度をなぜ凝りもせずやるかと言うと、

本人だけが「自分は気に入ってもらっている」、

「見つかるはずもない」と、

勘違いした曲解をしているからなのね。

自分を観る目が可笑しかったら、

外を観る目も可笑しくなるのは必然です。

だって同じ知覚器官に、脳処理ですもの。

反省するまで、この行動は当然繰り返されます。


余談だけど、

点数稼ぎの上手い人は、

その分の労力を、

陰で帳尻合わせをする心の仕組みに引っかかって、

DVやモラハラの要素を持っている可能性があります。

最初は従順に見せておいて、

後で高圧的態度でマインドコントロールをしていきます。

一見理知的に見えるハイスペックな人の中に、

自宅に入ると、家族やパートナーに高圧的態度を良くやってしまうのは、

このタイプが多いです。

回避依存症の心理的要因にもなってます。



これね、気づかれます。

言動行動に一貫性がない人は、

不誠実で信頼できない人物との印象を与えます。


誠実で権威がある人、

迎合されるような人、

追従されるような人達は、

本物の自尊心と中身のある人です。

屈折したタイプを、真摯な目でちゃんと見破ってます。

自分の都合で、

迎合する相手をコロコロと変えるだろうと予測がついているんです。


誠実な人は、

不誠実とは何かをとことん知るから、

誠実を身につけているのです。

利己的は何かをとことん知っているから、

そのからくりをすでに解いて身につけてしまっているため、

一枚も二枚を上手なのですよ。

心の幼さからやってしまう問題を、

すでに人生経験を通してよく知っています。

これは、他人の顔色を見て受容するだけだったり、

情報を模倣することでは身につかない行為。

形式だけで体得をしていない人には、

相手の心の問題は、見破れない仕組みになってます。


自己評価の低さは、心の眼の狂いです。

落ち着いて、

自尊心をしっかり身につけ直す生活を心がければ、

誰でも正気を取り戻していけます。

わざわざ嫌われる行為を選択していかなくて済むように、

丁寧な取り組みが必要だと思います。




写真 gatag.net




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