攻撃性に結びついたとき、
やってしまう嫌われる対人態度があります。
第五回目は、
優位にあるものに対して、
中傷、悪口、皮肉を言うことです。
自分のほうが劣位であることを承知の上で、
何とか足を引っ張りたい。
性格に根深く利害損得があり、
寛容さが欠如しているために、
中傷や皮肉、悪口で、
何とかバランスを取ろうとしてしまう。
これには、
自我防衛機制の「合理化」も関わってます。
一瞬にして、心理的優劣を逆転させるだけの力があるので、
知らぬ間に人格にまで定着している場合があります。
自分より優位な者のようになりたい願望に、
及ばないと自覚したとき、
どうしても黙っていることが出来ず、
何か毒を含んだ言葉を相手に言いたくなるのでしょう。
これも、
自己評価の甘さから。
危険すぎる墓穴を掘る行為です。
相手が、自尊心の欠如の持ち主で、
優越心で心を安定させているような者ならば、
ショックを受けて、
それは叶ったりな報酬につながるかもしれない。
しかし、本当に自信のある相手なら、
揺るぐわけがない。
むしろ、屈折した行為をなぜそんなにするのか、
弱点を見抜いて相手にしない。
あのね、
自信のある人は、心をオープンにしているでしょ。
オープンに出来るほど度胸も度量もある。
未熟な自己愛や歪んだ自己愛や、
競争心から得た優越心とは違うのよ。
多くの経験を活かして細心の注意が半端ない。
すでに、屈折した行為の理由を熟知していて、
気づいていないように、配慮している場合のほうが多いのね。
自信のある人は、寛容も体得してます。
いちいち心を善悪や正負ばかりに囚われ、
機敏に揺れ動いていることそのものが、
心の幼稚さであることや、
その理由がどこから来ているのかわからずして、
その道が進めるわけがない。
相手の嫌われる行為の中に、
屈折した愛情不足の解消と、
そのようなやり方でしか、
接近も、自分の印象もつける事が出来ない不器用さを、
見抜いてます。
気遣いで触れないようにしている。
人のそのような行為に、度量があるから、
寛容でいられるんですよ。
屈折した行為を向けてしまった相手側の信頼を、
あとで取り戻すのは容易ではありません。
普段から気をつけておく必要があります。
屈折した行為に思い当たるなら、
自尊心の欠如によって、
自分の才能と能力を不適切なほうへ、
一次的に伸ばしてしまったのだと視ましょう。
意識したすぐ側から、
もう新しい自分になっていけますよ。
「気づいてやらない工夫をしていく意志をしっかり持つ☆」
比較の眼による合理化の癖に引っかかって、
自分で自分を振り回していただけなのだから、
きっと脱出していけますよ(*^^)v
反省は、我が身を守る秘訣と知ろう。
昔から伝えられていることですが、
一度、大きな問題を経験し、
目を背けずに誠の反省をした者には、
必ず直面することで克服するチャンスを与えると言います。
命の力は片時も離れず、
本道に生きることの学びを、与えてくれているんだと思います。
過去の出来事は、苦しめるためにあるのではなく、
今を生きるための生活の知恵なだけですよ(*^^)v
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