ものの見方というところに絞ってお話しします。
自己イメージをとらえるのは、
けして簡単なことではありません。
客観視が育っていないといけないからです。
なんとかして捉えようとするために’体験’がありますが、
一部の人間の偏狭な考えに基づいて、
制約を受けてしまうのが機能不全家族の特徴です。
欲目があってはいけないのですね。
傍からはふつうの家庭に映っていても、
そこに問題や危機が起こっているような状況かどうか、
当然ながら子どもではわからない事情が起こってます。
期待に応えるのは当たり前、
言われた通りにしておくのが当たり前、
そんな風に念を押されている状況では、
客観視もなかなか育ちません。
現実をありのままに見ることを許されないなかで、
身についてしまうものはほぼ極端なもの。
幼児期の特徴である部分的思考(一人の人間のなかにある沢山の側面を、
統合できない見方)だけでなく、
そこに偏狭なルールから生まれる白黒思考が加わります。
・情報の取り方
・情報の再構成(知覚器官から視覚野でスクリーン化される時点での歪み)
そこにさらに、
・優先される価値観
・感情と欲望
が加わってその人の『世界観』が出来上がります。
そこからまた外を見ていき、
自分のフィルターで都合よく情報を処理し、
自分の感情や欲望が次々と現れていきます。
認識という内容に絞って分析してみると、
個人の差が生じるのは当たり前ですが、
その世界観が人生を左右することは間違いありません。
ここで伝えたいことは、
恋愛・結婚関係であれ、
学業や職業であれ、
わたしたちは自己と世界観というものをいつも持って人と関わっています。
その自己イメージが、
自我理想に基づいたファンタジックな自己では、
問題が起こる可能性が高いですよね。
とくに思春期の心理発達課題は、
ものすごく繊細な心理状態で、
自分が他人にどのように映っているのか自意識過剰な状態なわけです。
その意味も含めて、
等身大の自己を受け入れやすいようにしていかないと、
青年期以降での課題が乗り越えていけないのです。
ながく自我理想に執着した人が、
フラストレーションに晒されたとき、
苦痛の緩和のためにやってしまうのが妄想ストーリーのなかでの消化です。
これが習慣化されて、
現実と非現実の境界が引けなくなってしまうのを境界例といいます。
どんな職業について、
自分を活かそうかとするか選択する時期に、
等身大の自分以上の活躍を夢見たり、
逆に怖気づいたりし、
モラトリアム期間が長引いてしまうことがあります。
これは、
共依存の病理のかげで起こっている自己同一性の未発達問題と、
境界例の問題が見える形で現れています。
こういう事情になっているときは、
共依存を覚えるきっかけになった親を頼っても、
なかなか解決しないことが多いです。
専門家とワンツーマンで、
過去からの問題に焦点を当てながら、
個人の心理アセスメントをするほうがいいです。
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