大昔は社会性よりも精神性が重きに置かれていたんです。
人への教育は「特性の育成」「人格の向上」が重視。
社会性 < 精神性
皆さんご存知の「ありのままの自分」を見つけることが優先。
自己実現の欲求が中心だったのよ。
長老が見本になって若者男女を導いてた。
その人に備わる特性を見極めて、
適材適所に貢献させ、
社会を創っていったのよね。
変化が起きる。
社会の大きさに囚われていったのかもしれません。
いつの間にか社会性のための育成に変わっていったのよね。
それでいつの時代も、
社会性か精神性かで抗争が起こっています。
どの時代に生まれたとしても、
人間は完全孤独では死んでしまう生きもの。
ゆえに社会は人を守る場でもあるわけです。
無くても困る。
謎を解くカギは、
「律する」本当の意味ではないかなと思うのです。
人間の脳が低次なままの状態では、
お約束事はありがたいもの。(←テキスト式、既成概念、合理化教育)
記憶模倣することで、
多くの難を逃れることができます。
顕教や合理的教育が生まれた理由です。
大事なのは、
低次な状態の脳とは、どういうことをするのかを教えることです。
・赤ちゃん心理
・甘えたがる仕組みの理解
・情動や人間性の仕組み
個人が個人の低次な脳を律することが可能になれば、
高次の状態にステップアップしていけます。
高次な状態では、
「お約束事」がなぜ与えられていたのか理解が出来る。
低次を諭し、律する力があるから、
お約束事自体が無効なものになっているわけです。
早くから精神性の必要性を教えていたならどうなるのでしょうか。
人を大事に育てることが自然なはずです。
ゆえに「特性の育成」「人格の向上」がなされるわけです。
社会的報酬とは、
他人が決めた基準値に達しているか否かの評価や、
承認をえることが優勢になります。
自分を律することのひとつに違いはないのですが、
価値基準に達しただけでは、
こころが万全な状態になるとは限らないと言い換えられます。
個人だけで自律がなされないので、自立が検討違いになるのよね。
今月に入ってブログで紹介してきているモノは、
自律の検討違いから自立損ねについて触れているわけです(*´з`)
ずらずらと自立の検討違いを詳しくご紹介しています。
大人になっても低次の暴発が食い止められない。
お約束事を疎ましく思えて、
大人になってもまだ反抗している。
人によっては立派な社会的な地位や経済力を持っているにもかかわらず、
親にさえ自己意思を開示することすらままならない人が居るのが現状です。
改善策。
いつまでも社会的報酬によって立って物事を捉えるのを控えること。
もっと自分自身の心の状態を知ること。
心を育てる楽しさをもつこと。
自分で自分の状態をよく観察し、
律する力を訓練で育成してみたらどうでしょうか。
大昔の賢人を証明するかの如くに、
いい研究結果があります。
現代心理学にご紹介されている「欲求段階説」では、
最高峰にあるのは自己実現の欲求です。
精神性の自己実現の欲求は、
社会性の承認欲求より一段上を行きます。
目指せ高次。
迷っていたら、
はじめから精神性を優勢に、
心を育て直してみてください♡
思いも掛けなかった運命ルートに乗る楽しさを、
味わってみたらいかかでしょうか。
知らなかったもう一つの心育の流れに乗ろう。
それが自然の流れ。
個人を律する力を持って、
社会で自立していく面白さ。
いいもんですよ。
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