2018年8月23日木曜日

精神性は社会的報酬を超越する


人の心をちょっと一段高い所から見たら、

自分を救えるのではないかと考えています。

古く昔「解脱(モークシャ)」という境地を目指して、

多くの人が修行に挑んだわけです。

何を解いて脱ぐのか。


それは人間の心(命)のシステムを脱出すること。

人間をやめる。

というよりは、

低次な人間性の仕組みを脱出するって意味に捉えてみたらどうでしょうかね。

身近で手ごろでしょ(*´з`)


育て損ねて暗躍し、人生を台無しにするシステムを、

バージョンアップして快適にすること。

いかかでしょうか(笑)

MYヨガメソッドです(*'ω'*)


現代社会は、経済事情や経済成長を外して考えられない時代です。

だから経済を通してほとんどの人が生きています。

どうしてもその社会の流れを勉強することが必要なのです。

生きるために。

ただ勘違いは起こさないほうがいい。

経済に縛られ振り回されて生きることはない。

こちらは選択できます。


黒を知って白を理解する

白を知って黒を理解する

社会の流れと自然の流れの違いは、

双方を打ち消すためにあるのではありません。

それぞれがあることを見つけて、

どちらの流れにも乗れることを目指すことです。


少なくとも私はそう思ってメンタルヘルスをやってます。

個性の特性を活かせる場もまた、社会だからです。


社会への参加は、

大きさでもない、

形でもない、

心意気で決まる。

人生の価値もまた心意気次第です。

妙な思考の囚われを捨てれば、

人はいつだってどこに居たって自由です。

幸不幸の作り主は意識だと思います。


精神性は伝えているんです。

こころを理解して、こころをしっかり活かすこと。

そうやって自分らしく生きてみなさいと、

教えてくれているだけですよ。

誰だって心がけ次第で超越は出来る。


ここで誤解のないように補足です。

日本では疎ましく扱われることが多い宗教観。

でもその中身は精神性 = 宗教観。

新興宗教の横やりが入らない古い宗教観は、

「宗」の名の通り、人を知れという原点なだけです。

道徳観も、

信仰主義の宗教をやめ、

個人レベルから育成を怠ってはならないとの教えなのよね。

とてもシンプルなもの。


思想傾倒をせず、

幻想的に捉えることなく、

色目を使わず、

もっと素朴に考えれば、

施し方がちゃんと見いだせます。

※行ずること以外に真の知恵はないとまで言ってます。

現代社会とのズレが起こるはずもない。

人間性(心)の育て直しの術がゴロゴロと転がっています。

サロンの提唱する認知・行動療法は、

古く昔から引き継いだ知恵からをヒントにメソッドを作っています。

『思考癖を外さずして、行動の改善には至りません。

正見からスタートです』

メンタルヘルスそのものが俄然おもしろくなりますよ(*´з`)



甘え損ねたこともお勉強です。

自立し損ねたこともお勉強です。

沢山の人たちとの出会いで、

知らなかった自分に出会えただけ。

都合が悪いと知らなかった自分を切り離せば、

器の小さい小人で終わるだけ。

今もしご迷惑をおかけしていたことに気づいたなら、

心の中で純粋に感謝と懺悔を行い、

真っ直ぐに成長しようと訓練していけばいいのよ。

大きな器の人に向かおう。


自分をもう一つの眼で、

くまなくみつめてみる。

(客観視のこと)

そして自分の意思で律していくこと。

(高次な自意識のこと)

自分が親にも先生にも師にもなり、

また子にも生徒にも弟子にもなる。

(自問自答、一人二役のこと)

これがサロンで提唱するメンタルヘルスの基礎知識。


導き手を自分の中に創ってください。

温かく優しく包み込みながら、

そしてときに厳しくも諭す力が強い親心で人生を先導してみてください。

一度きりの人生を自分で律する面白さ。

律して社会で自立する面白さ、

面倒な低次な人間性を解いて脱ごう。

超越できます☆

みんなで味わいましょう(*^^)v


今日まで数か月間、

心配性から始まり、

お饅頭の皮とあんこの関係(いちご大福もあったわね)、

さらに甘え損ねのメカニズムを題材にブログで展開してきました。

皆様のお役に立てれば幸いです。


明日からメインテーマが変わります。

お楽しみに☆







ここから先はお時間がある人だけ読んでね☆(ヨガに興味がない人はスルーしてね)

※行ずる

顕教と密教の違い(質問回答編・・・お問い合わせありがとうございます♪)

ニュアンスで説明しますね。

顕教式は、講堂に園児を集めて先生が読み聞かせをします。

ストーリーはあらかじめ先生のほうですでに決めていて、

園児にはその通りに動いてもらいます。

園内でのお決まり事もしっかり決まっていて、記憶と模倣が主体です。

密教式は、園庭に園児を集め先生が声を掛けます。

「園内にある目に見える物を使って、自分でごっご遊びのストーリーを作ってみなさい。

最終的には全員が参加できるようにするにはどうしたら良いか見つけましょう。

答えが出てきた人は、それを持って先生の所へ来てね」


二つを比較すると、それぞれ長所と短所がありますでしょ。

現代教育システムは顕教式。ただし、条件の揃った場所では通用しますが、

それ以外の条件になったとき、低次な人間性が暴れ出す。

お約束事を守らせることと、お約束事がなぜ必要とされていたのかは別物。

いわゆる現代社会で精神疾患が増えていく一方だったり、

自己愛過多時代になる理由はここに在ります。


密教は、行じることで沢山のことを身につけます。

痛手は当たり前。研磨でしかない。

立案には創造性、考察には洞察力、継続には集中力、

自分への信頼と諦めない忍耐力がない限り続かない。

精神性の開発に多くの修行者が望んだのは、

顕教では決して掴めない大事なモノがそこにあるからです。

真の律する意味、人間性への理解がそこにあるゆえやめない。

解脱(モークシャ)は空っぽの宗教傾倒になることではありません。

現実逃避でもありません。

人間性を嘆いてはいない。

人間に生まれた以上、人間性を大事に扱うことだと教えています。


持って生まれた資質は大きく影響します。

顕教向きが通常で、全体のほぼ9割がた。

残りが密教向き。


こうして視ると、

密教式で積み上げてきた人に出会うことで、

顕教向きの精神性が再開発される可能性があるってことよね。


その昔歴史を振り返ると、

「征夷大将軍」のうしろに、

御息所や相談役に、

「茶の湯の権威者」がいたのは、

その希少価値を詠っているようなものなのです。

ふたを開けば精神性の取り扱い熟達者だったからですね。







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