罪悪感は人格全体というよりは、
特定の行為に対して起こるもの。
一方、
恥は、その人の存在全体に関して起こるものです。
アイデンティティー再体制化が必要になった人は、
恥、罪、劣等、意地の区別がなかった人がほとんどです。
中年の危機で自己喪失や崩壊に晒された人は、
何が問題でどうなったのか、
どの行動を修正すればよかったのかよりも、
こんな自分ではダメなんだと、
全人格否定されたと撃沈することが多いです。
とかく社会的な場で、
自分の存在全体が露わになり、
剥き出しになって孤立した感覚に陥って、
とにかく怖い。恐ろしい。
早く逃げて帰りたい。
どこかに身を潜めて隠れたい。
そんな心情になってます。
つまり恥の感覚は罪意識よりも影響が強く、
最優先にされます。
それが人間の習性です。
撃沈から停滞がずっと長引いている人は、
幼児期にまで遡った内観が必要です。
恥の感覚が生まれた最初期の由来を知る必要があります。
見捨てられ感、
幼児の頃に叱られた記憶、
不機嫌な親の顔、
あげ足をとられて辱めを受けた記憶、
身を切り刻まれるような緊張感など、
ひとりひとり違います。
そのときの恥の感覚が、
無意識層に強く刻み込まれていて、
あなたの心理構造は、
不信と疑惑に強くつながるようになってしまっています。
例えば、
人は乳児から幼児へと発達していくころ、
トイレトレーニングや食事の作法などを通して、
少しずつ自分を律していく訓練が始まります。
やりたい放題が出来ない壁に当たっていきます。
対処を誤っている親に育てられてしまうと、
粗相はダメと見なされます。
人によっては幼児期にもう体罰を与えられていることも。
孤立した支えのない状況は恥。
悲しく辛い記憶が心に刷り込まれます。
この体験は、
この人たちは自分を攻撃する人たちの認識を作り、
同時に不愉快な人たちに強制的に従わされる不快な感覚が、
身につきます。
誤ったしつけを通して、
他人の基準に達していなければ叱られる恐怖体験を重ねます。
内なる要求(子ども)と外側(親)が求める要求との間で、
落としどころが生まれないと、
葛藤が起こってしまいます(怒りの感情)。
拭えないと恨みの感情となって根付き、
相手の存在をどこかで信用できず疑ったり、
自分の存在そのものも信頼できない感覚になります。
それで非自律性になってしまっているのです。
これはしっかり見破っておかないといけないところよね。
基本的不信感と恥・疑惑の解明はとっても重要です。
本来この時期のしつけは、
ルールがあるのは、
自分にとって「いいこと」が起きていると、
感じられるかどうかが重要です。
大好きな養育者の世界を、
自分の中に気持ちよく内在化するのが課題。
外側が求めているルールは、
自分を守るためのルールでもあると、
楽しめるような雰囲気の中で行う必要があります。
これなら恥にもならず、
疑惑にもならずに済みます。
養育者を信頼するに値するかどうか、
こんな乳幼児期に匙を振っているって、
人間の生存本能ってスゴイですね。
この内在化がちょっと上手くいっていなかったのだろうと、
意味づけするといいですよ。
恥の感覚がどこから来ていたのか知って、
ひとまず受容しましょう。
今まで非自律性を抱えちゃって、
大変だったなと許して前進していきましょう(^^ゞ
不愉快な気持ちを汲んでは、
大丈夫なんだよと、
都度自分で声掛けすることが非常に大事になります。
ガンガンやってください。
恥の感覚についてしばらく取り上げますので、
どうぞおつき合いをよろしくお願い申し上げます。
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