かりそめの自立心とは、
一人で分別することや、
立て直しが難しい状態のことを指します。
お互いに支え合うという甘い言葉でも、
集団を支えている一人一人の中身が問われています。
学則や教育課程は、
誰かに決められた規範です。
その規範をあたかも自分であるかのごとくに一体化させた状態では、
それを失ったときに自己を失ったも同然なのです。
狭量な枠組みに慣れ親しんでいるため、
社会に出てから勝手が違って躓きます。
思うように事が運ばないときが来てしまう。
会社に入れば学校のような規範依存性が通用しなくなります。
もっと過酷な条件を提示されるか、
もしくは自分で自主的につくる必要があることも。
非自立性の優等生にここで危険が迫ります。
想像していたのと違うッ!?
いままでは規範が提示されていたから、それでよかった。
基準もあったし、基準に合格さえすればゴールもある。
プロセスの説明も指導も細かくやってもらってたから困らない。
記憶力でカバーが出来ます。
でも会社ではそうはいかない。
問われるのは考察と考案と実行力と実技。
会社は即戦力が欲しいモノ。
ノルマ性に弱い人が出てくるのは当然なのです。
無作為から何かを立ち上げる訓練が、
彼らは頓挫していたのです。
人が作った既製品たちを「自我の実力」とみなし、
勘違いしていたのですね。
競争心がモノを言ううちはまだいいほうで、
意見や対応策がだんだん出てこなくなるんです。
対応策が見当たらない(追従先がない)。
そこで誇大自己が萎縮し始める感覚に身体は襲われます。
そうすると頭をよぎるのは、、、、
『怒られないようにするにはどうしたらいいのか!?』となるのね。
成績の二文字が頭をよぎり心配性が発動していきます。
それでだんだん消極的な考え方にベクトルが向きます。
外面では優等生のままを望む一方で、
内面では強烈な支配と憎悪と執着に及んでいきます。
情動不全が起こります。
そこで境界性パーソナリテイ障害が発症するのね。
学校の成績優秀と、
自立性はまったくの別物なんです"(-""-)"
今日の洞察☆
心理的自立や精神的自立は、
社会の中で既成規範の基準を満たせば、
きちんと出来上がるモノではありません。
それは誤解です。
気がついたときは、心育をすればいいだけです。
ピンチではなくてチャンスね(*^^)v
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