2018年10月5日金曜日

萎縮した自己と誇大化自己を脱出すること




自我の形成を発達段階で考えてみると、

反抗期の前までは、

親の姿の前で萎縮していた自己が、

反抗期を境に、

誇大化自己が一度優勢に立ち、

親の意見をはね除ける状態へと成長します。

そのあとにもう一度、

肥大した誇大自己を鎮めて調整し、

本来の自己になるって感じですね。


反抗期って大事ですよね。

誇大自己は必要なエッセンス。

それがなければ意見を開示するに至らない。

心の仕組みで視ればないと困るモノでもあります。


私たちの心はお互いの存在を借りて、

一生懸命に成長をしています。


そのときに生まれた価値観を、

頭ごなしな否定よりは一度は共感し肯定し、

時に調整して、

分かち合う喜びを知る必要があるのだろうと思うのです。

それを理解している人が少ないのが、

今日精神疾患が増えるに至る原因なのかなと思います。


なのでここでお勉強してしまいましょう(*^^)v

(経過)

萎縮した自己愛 → 境界線がない同一状態で追従式

誇大自己が肥大した自己愛(反抗期) → 心理的にはまだまだ中途半端

自己愛の成熟 → 境界線を引いた自立状態で互いを肯定できる


境界性パーソナリテイ障害は、

この自己愛の成熟過程も、途中で止まっているようなものなのです。

自己愛性の問題も残したままなのね。


愛の世界において、

自由や自立とは独りぼっちになることではなくて、

精神的に自立をはかると言うことなのよね。

甘えたり頼ったりすることは、

親子や二者間で常におきるものでもありますが、

自分で加減して立つことがお互いに出来なければ、

愛はいつも寄りかかりになってしまいます。

例え親子であれ寄りかかりは、

少なからず愛する人の労力を削ぎ取ることになり、

支配することとあまり変わりはありません。


未熟な愛はこの反抗期をも奪い、

子どもの愛を萎縮させ、

親よがりによじ曲げます。

将来を心配してという親の思いも、

子どもの立場になってみたら、

それは大きな壁や障害のひとつにしかなりません。



なんか真面目なコメントになってたなぁ、、、、(つぶやき)

ちょっと方向転換。

お饅頭のあんこで例えると、

萎縮した自己 → お塩だけ

誇大自己が肥大 → お砂糖だけ

どっちもマズい、、、

お砂糖だけの状態に、

お塩を入れると、

絶妙なあんこの味になる。

美味い♡♡♡

てな感じ。

と、サロンで話すと、

「わかりやすいわ~笑笑笑顔」と、

喜んでミッションに向かおうとしてくれますわ。

でもこれ、ホントなんです(*'ω'*)







湘南茅ケ崎Salon Hanamizuki
☆電話カウンセリング専用ダイヤル開設0467-**-**** (10月中旬受付開始)☆
メンバーズ様限定・電話心理カウンセリング対応可
ラブアディクション専用電話心理カウンセリングSTART(非会員様受付可)
http://www.ryohanamizuki.com/
自然療法の宝物☆アーユルヴェティックライフ♡ブログも不定期更新中