自我の形成を発達段階で考えてみると、
反抗期の前までは、
親の姿の前で萎縮していた自己が、
反抗期を境に、
誇大化自己が一度優勢に立ち、
親の意見をはね除ける状態へと成長します。
そのあとにもう一度、
肥大した誇大自己を鎮めて調整し、
本来の自己になるって感じですね。
反抗期って大事ですよね。
誇大自己は必要なエッセンス。
それがなければ意見を開示するに至らない。
心の仕組みで視ればないと困るモノでもあります。
私たちの心はお互いの存在を借りて、
一生懸命に成長をしています。
そのときに生まれた価値観を、
頭ごなしな否定よりは一度は共感し肯定し、
時に調整して、
分かち合う喜びを知る必要があるのだろうと思うのです。
それを理解している人が少ないのが、
今日精神疾患が増えるに至る原因なのかなと思います。
なのでここでお勉強してしまいましょう(*^^)v
(経過)
萎縮した自己愛 → 境界線がない同一状態で追従式
↓
誇大自己が肥大した自己愛(反抗期) → 心理的にはまだまだ中途半端
↓
自己愛の成熟 → 境界線を引いた自立状態で互いを肯定できる
境界性パーソナリテイ障害は、
この自己愛の成熟過程も、途中で止まっているようなものなのです。
自己愛性の問題も残したままなのね。
愛の世界において、
自由や自立とは独りぼっちになることではなくて、
精神的に自立をはかると言うことなのよね。
甘えたり頼ったりすることは、
親子や二者間で常におきるものでもありますが、
自分で加減して立つことがお互いに出来なければ、
愛はいつも寄りかかりになってしまいます。
例え親子であれ寄りかかりは、
少なからず愛する人の労力を削ぎ取ることになり、
支配することとあまり変わりはありません。
未熟な愛はこの反抗期をも奪い、
子どもの愛を萎縮させ、
親よがりによじ曲げます。
将来を心配してという親の思いも、
子どもの立場になってみたら、
それは大きな壁や障害のひとつにしかなりません。
なんか真面目なコメントになってたなぁ、、、、(つぶやき)
ちょっと方向転換。
お饅頭のあんこで例えると、
萎縮した自己 → お塩だけ
誇大自己が肥大 → お砂糖だけ
どっちもマズい、、、
お砂糖だけの状態に、
お塩を入れると、
絶妙なあんこの味になる。
美味い♡♡♡
てな感じ。
と、サロンで話すと、
「わかりやすいわ~笑笑笑顔」と、
喜んでミッションに向かおうとしてくれますわ。
でもこれ、ホントなんです(*'ω'*)
湘南茅ケ崎Salon Hanamizuki
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