2018年4月20日金曜日

マゾとサドの依存関係

巻き込む側と巻き込まれる側。

心の関係を違う視点でみると、

時折思いがけない発見に出会います。


サドとマゾの依存関係は、

どちらも相手が必要な関係です。

相手が居ないと成立しない。


マゾは通常服従する側になるので主体性の放棄とされます。

しかし、

マゾが相手のサドを100%受け容れるスタンスが作られて初めて、

サドの存在意義が生まれる。

マゾの持つ100%譲れる強さがないと成立しません。


一方サドは、相手を支配し服従させたと陶酔したところで、

相手のマゾが100%受け容れてくれて初めて、

サドの存在意義が達成される。

100%相手を介して成立している。

『己を譲れない弱さによる敗北』

サドはそのことに気づいているのだろうか・・・・・。


外と中身は真逆。


権力意識を秘めた人間の心の中身は、

至ってシンプルだと思えた。





二つの力関係は回避依存症と共依存症の男女に良くみられます。

表の態度と裏腹に、

心は逆転立場を狙っている。

社会的メンツで普段は見せない顔を、

二人だけの世界にこの関係を持ち出します。

誰かを支配したい、または支配されたい願望を、

反映させて陶酔していきます。


心の空洞を埋めたい。

心配を拭いたい。

縋りたいときに出会った人ほど救世主に感じてしまうもの。

暗闇に咲く花火のように。

愛が見えそうで見えないものだから。

心はそのことに異様に執着していきます。


どうしようもない人に魅力を感じてしまうのは、

支配の関係に陶酔することで、

愛のない痛みを感じないですむようにしたくなるから。

心はそのことに気づいているでしょうか。


エロスの官能にはいくつもの痛みを隠す妙味があります。

日常を忘れさせてくれる立場を求めて。

日常を忘れさせてくれる喜びを求めて。

暗がりでお互いの痛みを隠す関係だからこそ、

互いの肌を通して孤独ではないと感じる関係だからこそ、

一線を越えていく価値があると、

心は思っている。

心は手放したがらない。


苦しみにもがくときほど、

自分から逃げ出したくなる時ほど、

それが閃光のように美しく感じる。

それが性愛と偏愛の力です。


窮地に立たされた時、

どうしようもない人でも救われることは確かにあります。

でも、宿は所詮仮宿です。

だから、

そんな時こそ心の痛みに支配されないように、

手綱を取り戻す必要があるんだと思います。


人の内側にある感情と欲情の渦は沢山のものを巻き込んでいきます。

まるでマゾとサドのように切り離せない関係です。







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