観念的思想は、現実生活からの逃避目的で生まれたモノだと決めつけている人もいます。
が、そんなニュアンスに取れる節もありますけどね。
信仰がとても難しいものと扱われるのは、
人間の解釈に左右されるからです。
解釈一つで「宗教」が「新興宗教」にもなってしまう所以。
また「迷信・妄信・狂信」に向かってしまうことさえある。
要約すると、
自我(己)が起こす心理的作用の「幼稚さ」を深く理解し、
それに振り回されることのない反対の境地「精神性」に向かって行きなさいとの思想です。
自分の幼い姿を見逃さない。
人間に生まれる真の理解とは、
人間の命の働きに搭載されている「心の働き」を理解することです。
生存本能は感受の機能が発端です。それを元手に生存可能にしています。
心の働きは「感受・思考・行動」のワンセットです。
心の力が暴れ出さないように、よーく調教しなさいと。
でないと、思考が乱れ頓珍漢。
すぐに欲求行動が暴れ出すような幼稚な行動をします。
だから脳みそを他の動物と違って与えているので、
しっかり脳みそで理性と知性を開発させて「精神性」で生きてみて実感してね。
てこと。
性懲りもなくって言うでしょ。
「生まれたらついてくる心」を学ばないと酷いことにもなるってわけよね。
心の理解なくして真の理解なし(*^^)v
めちゃ端折りました。。。
真似事では無理が生じます。
シゾイドパーソナリティの人たちの精神性は、真似事ではないの。
本人のDNA的なモノと日常の習慣が、
そのパーソナリティを創り上げたとも言い換えられると思います。
MYヨガメソッド
「人のせいにする」
それを使った時点から、そのことについては自分は成長していないことだと、
気づいたとき、そっちの方が私は怖くなった。
物事の表側よりも、見えない奥深くのことを詠む力が、
ずっと今も支えてくれています。
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